東一条院(読み)ひがしいちじょういん

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「東一条院」の解説

東一条院 ひがしいちじょういん

1192-1248* 鎌倉時代,順徳天皇中宮(ちゅうぐう)。
建久3年生まれ。九条良経(よしつね)の娘。母は一条能保(よしやす)の娘。承元(じょうげん)3年(1209)東宮守成(順徳天皇)の御息所(みやすどころ),5年中宮となる。仲恭(ちゅうきょう)天皇,明義(めいぎ)門院を生む。承久(じょうきゅう)の乱後,順徳天皇は佐渡に流されたが,承久4年院号をさずけられた。宝治(ほうじ)元年12月21日死去。56歳。名は立子(りっし)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東一条院」の意味・わかりやすい解説

東一条院
ひがしいちじょういん

[生]建久3(1192).京都
[没]宝治1(1247).12.21. 京都
順徳天皇の皇后藤原立子。父は摂政太政大臣藤原良経。母は権中納言藤原能保の娘。仲恭天皇の母。承元3 (1209) 年東宮御息所 (みやすどころ) となり,同4年順徳天皇の即位により女御 (にょうご) ,翌年1月皇后に冊立 (さくりつ) され中宮と称した。承久の乱により,貞応1 (22) 年東一条院の院号宣下をこうむり,嘉禄2 (26) 年尼となり清浄観と称した。

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朝日日本歴史人物事典 「東一条院」の解説

東一条院

没年:宝治1.12.21(1248.1.18)
生年:建久3(1192)
鎌倉前期の女院。順徳天皇の皇后。仲恭天皇と明義門院の母。名は立子。父は摂政九条良経,母は一条能保の娘。承元3(1209)年東宮守成(順徳)の御息所となり,建暦1(1211)年中宮となる。承久の乱の翌貞応1(1222)年院号宣下。乱後は仲恭と九条殿で同居した。

(秋山喜代子)

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