精選版 日本国語大辞典 「東廻海運」の意味・読み・例文・類語
ひがしまわり‐かいうん ひがしまはり‥【東廻海運】
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東廻航路ともいい、日本海沿岸(山形県酒田(さかた))から津軽(つがる)海峡を経て太平洋沿岸を南下して江戸に達する航路をさす。江戸時代、幕府直轄領の貢米、奥羽・北国諸藩の蔵米(くらまい)を江戸に廻送(かいそう)するために開かれた。
当初は、仙台藩はじめ津軽藩、秋田藩などは、那珂湊(なかみなと)(茨城県)ないし銚子(ちょうし)(千葉県)まで海路をとり、あとは利根(とね)川の水運を利用して江戸に達するコースをとっていた。しかし1671年(寛文11)、幕府は陸奥(むつ)領の御城米を江戸へ廻送するため、河村瑞賢(ずいけん)を起用して、従来の銚子入りからさらに房総半島を迂回(うかい)して下田(しもだ)から江戸へ至る一貫した海上ルートの開発に成功した。この航路は江戸と結び付いて発達し、1721年(享保6)奥羽・北国諸藩に対し東廻利用を奨励した。しかし太平洋の荒波と風待ち港に恵まれていなかったので、かならずしも航海安全が保証されず、西廻海運ほどには発達しなかった。
[柚木 学]
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日本海の出羽国酒田から津軽海峡・三陸沖・鹿島灘・房総半島をへて江戸に至る航路。近世初期に東北諸藩はそれぞれ太平洋を南下し江戸までの廻米ルートを開拓しつつあったが,1670年(寛文10)幕府は河村瑞賢に命じて奥州幕領米の廻送ルートを整備させた。瑞賢は,堅牢とされた尾張・伊勢の廻船を雇い,これに幕府の幟(のぼり)をつけること,房総半島を迂回して伊豆にむかい,そこから江戸に入る大廻りコースをとらせること,常陸国平潟・那珂湊,下総国銚子,安房国小湊などに番所を設置して廻船の援助・監視にあたらせるなどの諸政策を実施。これにより奥州から江戸までの廻米航路が確立し,奥州米の江戸輸送に大きな役割をはたした。
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