精選版 日本国語大辞典 「東松島」の意味・読み・例文・類語
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
宮城県中部の市。石巻湾,松島湾に面する。2005年4月鳴瀬(なるせ)町と矢本(やもと)町が合体して成立した。人口4万2903(2010)。2011年3月の東日本大震災では,死者行方不明1189人,全壊住宅4790戸にのぼった。
東松島市南西部の旧町。旧桃生(ものう)郡所属。人口1万1692(2000)。石巻湾,松島湾に面し,陸繫(りくけい)島化した宮戸島が南に突出する。町域を貫流する鳴瀬川沿いに平地が広がるが,北部,西部は丘陵が連なる。農業の中心は米作であるが,酪農,養豚などの畜産や,キュウリ,カーネーションなどの施設園芸がふえている。漁業は宮戸島でノリ,カキの養殖が盛んなほか,定置網やサケの孵化,放流なども行われる。複雑な海岸線をもつ宮戸島は野蒜(のびる)海岸とともに奥松島と呼ばれ,奇勝の嵯峨渓や松島四大観の一つである大高森(標高105m)などをもつ景勝地で,旅館,民宿など宿泊施設も多い。丘陵部で切り出される凝灰岩は野蒜石の名で,江戸時代末から建築用材として全国に移出されていたが,現在産出量は減少した。明治初期に東北開発の一大事業として,鳴瀬川河口の野蒜で大規模な築港工事が行われたが失敗し,東名(とうな),北上の運河だけが残っている。JR仙石線が通じる。
東松島市北東部の旧町。旧桃生郡所属。人口3万1488(2000)。砂丘と低湿地からなる石巻海岸平野にあり,南は石巻湾に面する。定川が東部を南流し,JR仙石線,国道45号線が通じる。中世には長江氏が滝山に居城して支配したが,近世は仙台藩領であった。寛永年間(1624-44)藩営事業として,当時町域内を貫流していた江合川を北端の和淵で北上川に合流させる改修工事が行われ,この結果現在の定川一帯に低湿地が広がることになった。1882年海岸沿いに北上運河が建設されたが,舟運の衰退した後は灌漑用水路として利用されている。1938年海軍航空隊の基地が新設され,人口が急増した。基地は第2次大戦後,航空自衛隊松島基地になっている。農業は米作を中心とするが,野菜栽培,畜産なども盛んである。大曲浜ではノリの養殖が行われる。石巻工業港の後背地にあたり,大曲には工業団地が造成され,企業誘致を進めている。
執筆者:千葉 立也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新