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第2次大戦前に人気の高かった歌謡曲歌手。秋田県出身。早稲田大学商学部卒業後,大陸に渡って満鉄に勤務,同付属鉄嶺図書館長となったのち職を辞して上京,下八川圭祐にクラシックの声楽を学ぶ。1933年《時事新報》主催のコンクールに入賞し,キングレコードに入社したが,34年2月,新興のレコード会社ポリドールから《赤城の子守唄》を出したところ大ヒットとなった。この曲は松竹の同名時代劇映画の主題歌で,やくざを主人公とし,1番の歌詞が4行から成るその各行に1回ずつ〈泣く〉という語が使われる(佐藤惣之助作詞,竹岡信幸作曲)という,それまでの歌謡曲にもなかったほど日本的な孤独感,悲愴感を強調したもので,いわゆる演歌調歌謡曲の嚆矢となった。その後も東海林は《旅笠道中》《野崎小唄》など日本情緒の時代物路線に沿ってヒットを出したが,舞台で歌うときの彼は薄化粧に燕尾服,直立不動の姿勢を保ち,折目正しさで有名になった。戦後も活動を続け,63年,日本歌手協会発足とともにその会長に就任した。
執筆者:中村 とうよう
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歌手。秋田県生まれ。早稲田(わせだ)大学商学部卒業後、南満州鉄道に入社したが、鉄嶺(てつれい)図書館長を最後に8年間で退職。クラシック音楽で身をたてようと上京、下八川圭祐(しもやがわけいすけ)に師事する。1933年(昭和8)時事新報の音楽コンクールで上位入賞し、キングレコードに入社。34年ポリドール発売の『赤城(あかぎ)の子守唄(うた)』(佐藤惣之助(そうのすけ)作詞、竹岡信幸作曲)が大ヒットし、股旅(またたび)歌謡曲の基礎をつくった。燕尾服(えんびふく)姿で直立不動、端正な歌いぶりで有名。ほかに『国境の町』『むらさき小唄』『野崎小唄』などのヒット曲があり、65年(昭和40)には流行歌手として初の紫綬褒章(しじゅほうしょう)を受章した。
[斎藤 明]
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…1934年の松竹映画《浅太郎赤城の山》の主題歌。この映画は,赤城山に潜伏中の国定忠治と子分の板割浅太郎を描いた映画だが,中年から歌手となってポリドール入りした東海林(しようじ)太郎が歌った主題歌が大ヒットした。同年2月のレコード発売以来今日まで歌われつづけている。…
※「東海林太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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