東胤頼(読み)とう・たねより

朝日日本歴史人物事典 「東胤頼」の解説

東胤頼

生年生没年不詳
鎌倉前期の御家人千葉常胤の6男。母は秩父重弘の娘。年少のころから都にのぼって禁中の警備に当たる滝口武者を勤める。そして,この間に知遇を得たと思われる摂津渡辺党の遠藤持遠の推挙によって上西門院(後白河院の妹)に仕え,従五位下に叙される。持遠の子で源頼朝挙兵を勧めたことで知られる文覚を師と仰ぎ,治承4(1180)年6月,京都から帰国の途中,伊豆配流中の頼朝と密談する。頼朝の挙兵に際しては,父に参向を促した。のちに下総国東庄・海上庄・木内庄などを与えられ,東庄(千葉県東庄町)を本領として東氏を称した。古今伝授で知られる東常縁は彼の子孫である。<参考文献>野口実『坂東武士団の成立発展』,同『鎌倉の豪族Ⅰ』

(野口実)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「東胤頼」の解説

東胤頼 とう-たねより

?-? 平安後期-鎌倉時代武将
千葉常胤(つねたね)の6男。京都で上西(じょうさい)門院につかえ,文覚(もんがく)の弟子。治承(じしょう)4年(1180)父とともに源頼朝の挙兵にくわわる。一ノ谷の戦い,奥州攻めにも従軍した。下総(しもうさ)香取郡(千葉県)東荘(とうのしょう)をあたえられ,東氏を称した。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の東胤頼の言及

【東氏】より

…千葉常胤の六男六郎大夫胤頼(たねより)を祖とする。東胤頼は上西門院(鳥羽天皇の皇女統子)に仕え,下総国香取郡東荘を領して東氏を称した。神護寺僧文覚(もんがく)と師弟の契を結び,また源頼朝の挙兵(1180)に際し長兄胤正の子成胤とともに下総国の目代を討った。…

※「東胤頼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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