東遊記(読み)トウユウキ

デジタル大辞泉 「東遊記」の意味・読み・例文・類語

とうゆうき〔トウイウキ〕【東遊記】

江戸後期の紀行随筆正編・続編各5巻。橘南谿たちばななんけい著。寛政7~9年(1795~1797)刊。天明4年(1784)京都から江戸へ行き、東海東山北陸の各道を旅行した時の見聞録。→西遊記

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「東遊記」の意味・読み・例文・類語

とうゆうき トウイウ‥【東遊記】

江戸後期の紀行。二編一〇冊。橘南谿(たちばななんけい)著。寛政七~九年(一七九五‐九七)刊。天明四年(一七八四)、医学修行のため東海・東山・北陸の各道を旅したときの見聞録。姉妹編として「西遊記」があり、合わせて「東西遊記」ともいう。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本歴史地名大系 「東遊記」の解説

東遊記
とうゆうき

一冊 平秩東作

成立 天明四年

自筆本 国会図書館

写本 北海道大学附属図書館・東京大学附属図書館・国立公文書館内閣文庫

解説 狂歌師として有名な平秩東作が、幕府の勘定組頭土山宗次郎の依頼を受けて抜荷の噂のある蝦夷地の事情を探るため天明三年秋松前に赴き、一冬を江差の名主の家で過ごして見聞したその地の事情を記す。松前・蝦夷地の状況、アイヌの風俗、蝦夷地の産物記述は詳細で的確であり、当時の松前の庶民の生活を描いた史料としてもすぐれている。

活字本 北門叢書第二冊・日本庶民生活史料集成第四巻

東遊記
とうゆうき

一〇巻一〇冊 橘南谿著

成立 前編寛政七年・後編同九年(板本)

原本 東大史料編纂所

解説 著者は伊勢国久居の儒医諸国の風土や気候を体験し、医術の研修を深めることを目的として、天明四年江戸に下り、奥羽・信越地方を経て、同六年夏に京へ帰った。この旅の所産が本書で、「西遊記」と合せて「東西遊記」とする意図があったらしい。

活字本 「日本庶民生活史料集成」二〇、「青森県叢書」三(抄録)

東遊記
とうゆうき

一〇巻一〇冊 橘南谿著

成立 前編寛政七年・後編同九年(版本)

原本 東大史料編纂所

解説 著者は伊勢国久居の儒医。諸国の風土や気候を体験し、医術の研修を深めることを目的として天明四年江戸に下り、奥羽・信越地方を経て、同六年夏に京へ帰った。この旅の所産が本書で、「西遊記」と合せて「東西遊記」とする意図があったらしい。

活字本 日本庶民生活史料集成二〇

東遊記
とうゆうき

一〇巻一〇冊 橘南谿著

解説 儒医南谿は西遊の旅を終え、天明四年江戸に下り、奥羽・信越を経て同六年京に帰った。この旅の所産が東遊記で、諸国の気候風土を通して医術の研修を深めることを目的とした。構成は旅程順に従わず、主題別に整理され、佐渡之渡・新潟・米山などについての記述がみえる。

活字本 日本庶民生活史料集成二〇・東洋文庫二四八・二四九

東遊記
とうゆうき

一〇巻一〇冊 橘南谿著

分類 地誌

解説 儒医であった南谿は西遊の旅の後、天明四年江戸に下り、それから奥羽・信越を経て同六年夏に京に帰った。この旅の所産が東遊記で、諸国の風土・気候を体験して医術の研修を深めることを目的とした。構成は旅程の順序とは関係なく、主題別に整理され、男鹿半島・秋田蕗・阿仁銅山などについての叙述がみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android