杲隣(読み)ごうりん

朝日日本歴史人物事典 「杲隣」の解説

杲隣

没年:没年不詳(没年不詳)
生年神護景雲1(767)
平安初期の真言宗の僧。空海の弟子伊豆修禅寺開山と伝えられる。東大寺で法相,三論を学び令名高かったが,私度僧として出発したらしく,得度は大同2(807)年,41歳のとき。まもなく7歳年下の空海に師事して密教修学神護寺三綱上座を勤め,また空海が拠点を金剛峰寺に移すと杲隣も従ったという。承和4(837)年,実慧が東寺定額僧を奏請したとき,71歳で第2位の高位にあった。空海門下の四哲,或いは十大弟子のひとりとされる。弟子に円行,真隆。<参考文献>守山聖真編『文化史上より見たる弘法大師伝』

(正木晃)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「杲隣」の解説

杲隣 ごうりん

767-? 奈良-平安時代前期の僧。
神護景雲(じんごけいうん)元年生まれ。真言宗。東大寺でまなび,のち空海に師事する。京都高雄山寺(のちの神護寺)三綱(さんごう)の上座をつとめ,天長10年(833)師の高野山入りにしたがう。空海十大弟子のひとり。師の没後に伊豆(いず)修禅寺(静岡県)をひらいたとされる。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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