朝日日本歴史人物事典 「杵屋六三郎(4代)」の解説
杵屋六三郎(4代)
生年:安永9.1.10(1780.2.14)
江戸後期の長唄三味線方。江戸板橋宿の旅籠奈良屋の次男に生まれ,名を長次郎といった。幼いころから三味線に優れ,初代杵屋正次郎門下で研鑽を積む。寛政10(1798)年の江戸中村座が初舞台で,その後河原崎座,中村座,市村座で活躍した。文化5(1808)年に4代目六三郎を襲名し,作曲と演奏,両方の名人とたたえられ,同時代の10代目杵屋六左衛門と並び称せられた。7代目市川団十郎に深く信頼され,団十郎のために数多く作曲している。なかでも名曲として知られるのが「勧進帳」である。ほかに「老松」「吾妻八景」「松の緑」など,「お座敷長唄」と呼ばれる純粋鑑賞用の長唄も知られる。特に「老松」はお座敷長唄の嚆矢とされている。天保11(1840)年,長男に六三郎の名を譲り,自らは六翁と名乗った。六三郎の名跡は,平成期までに12代を数える。
(長葉子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報