杵屋六三郎(読み)キネヤロクサブロウ

デジタル大辞泉 「杵屋六三郎」の意味・読み・例文・類語

きねや‐ろくさぶろう〔‐ロクサブラウ〕【杵屋六三郎】

[1779~1856]長唄三味線方。4世。作曲・演奏両面にすぐれ、長唄中興の祖といわれる。7世市川団十郎知遇を得て「勧進帳」などを作曲。

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精選版 日本国語大辞典 「杵屋六三郎」の意味・読み・例文・類語

きねや‐ろくさぶろう【杵屋六三郎】

四世。邦楽家。長唄三味線方。江戸の人。のち六翁と改名江戸時代名人。七世市川団十郎に重用され、「勧進帳」「老松」「吾妻八景」「松の緑」などを作曲。長唄中興の祖とされる。安永八~安政二年(一七七九‐一八五五

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改訂新版 世界大百科事典 「杵屋六三郎」の意味・わかりやすい解説

杵屋六三郎 (きねやろくさぶろう)

長唄三味線方。現在まで12世を数えるが,2世と4世が著名。(1)初世(?-1734(享保19)) 杵屋の宗家3代勘五郎の三男で前名吉之丞,元禄年中(1688-1704)に別家して六三郎と改めたといわれるが明らかではない。(2)2世(1710-91・宝永7-寛政3) 初世の実子。宝暦・明和年間(1751-72)に三味線方として活躍する。長唄の曲風を一変させた名人の一人に数えられている。俳名を天滴(てんてき)といい,天滴六三郎ともいわれている。《春調娘七種(はるのしらべむすめななくさ)》のほか,数多くのめりやす物を作曲する。(3)3世 9代杵屋六左衛門の前名。(4)4世(1779-1855・安永8-安政2) 初世杵屋正次郎の門弟。前名長次郎。1808年(文化5)六三郎を襲名する。作曲,演奏両方面の名手で,特に7世市川団十郎の信頼が厚く,団十郎のために名曲《勧進帳(かんじんちよう)》を作曲している。そのほか,《晒女(さらしめ)》《老松(おいまつ)》《吾妻八景(あづまはつけい)》《俄獅子(にわかじし)》《松の緑》などの作曲がある。1840年(天保11)杵屋六翁(ろくおう)と改める。(5)5世 4世の実子。生没年不詳。初名六太郎,前名長次郎。1840年に六三郎を襲名。嘉永年間(1848-54)に没する。(6)6世(?-1859(安政6)) 4世の養子六之助が1850年(嘉永3)に六三郎を襲名。(7)7世(1832-79・天保3-明治12) 4世の門弟である初世杵屋六四郎の門弟国三郎。1863年(文久3)長次郎から六三郎をつぐ。74年2世六翁と改める。(8)8世(1841-1906・天保12-明治39) 7世の門弟。前名長次郎,1874年六三郎をつぐ。93年3世六翁と改める。(9)9世(1866-1906・慶応2-明治39) 8世の次男。前名長次郎,1893年六三郎をつぐ。新富座,明治座などに出勤する。(10)10世(1857-1920・安政4-大正9) 9世の義理叔父(8世とは義理の兄弟)六太郎が1917年に六三郎を襲名する。(11)11世(1890-1967・明治23-昭和42) 10世の甥。前名六太郎。1923年に六三郎をつぐ。(12)12世(1932(昭和7)- ) 11世の長男,前名六太郎。1967年六三郎を襲名する。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「杵屋六三郎」の意味・わかりやすい解説

杵屋六三郎
きねやろくさぶろう

長唄(ながうた)三味線方。六三郎派(池の端派)の家元名で、現在まで12世を数える。

[渡辺尚子]

初世

(?―1734)杵屋宗家3代勘五郎の三男。前名吉之丞(きちのじょう)。元禄(げんろく)年間(1688~1704)六三郎と改める。

[渡辺尚子]

2世

(1710―91)初世の実子。初世松島庄五郎(しょうごろう)、初世富士田吉次の三味線方を勤め、長唄の曲風を一変させた名人といわれる。俳名を天滴(てんてき)と号す。

[渡辺尚子]

3世

杵屋宗家9代六左衛門の前名。

[渡辺尚子]

4世

(1779―1855)初世杵屋正次郎の門弟。前名長次郎。1808年(文化5)4世を襲名。長唄界中興の祖といわれる作曲の名人で、『勧進帳』『晒女(さらしめ)』『吾妻八景(あづまはっけい)』『松の緑』『老松(おいまつ)』などを作曲。のち六翁(ろくおう)(初世)と改名。安政(あんせい)2年11月30日没。5世は4世の実子、6世は4世の養子、7世は4世の門弟である初世六四郎の門弟で、後の2世六翁、8世は7世の門弟で、後の3世六翁、9世は8世の次男、10世は9世の義理の叔父、11世は10世の甥(おい)がそれぞれ襲名。

[渡辺尚子]

12世

(1932― )11世の長男。1967年(昭和42)に襲名。

[渡辺尚子]

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百科事典マイペディア 「杵屋六三郎」の意味・わかりやすい解説

杵屋六三郎【きねやろくさぶろう】

長唄三味線方の芸名。現在まで12世。2世〔1710-1791〕は,初世の子。名人と称され,従来の長唄の曲風を一変させて,今日の長唄の基礎を築いたという。俳諧もよくし,俳名から〈天滴六三郎〉と称された。3世はのちの9世杵屋六左衛門。4世〔1780-1855〕は,初世杵屋正次郎門下。1808年4世を襲名。作曲・演奏に優れ,長唄中興の祖といわれる。のちに六翁と改名。7世市川團十郎に厚遇された。劇場用長唄および鑑賞本位の〈お座敷長唄〉の両面に才能を発揮した。主作品は,《勧進帳》《晒女》《老松》《吾妻八景》など。
→関連項目藤娘松の緑

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世界大百科事典(旧版)内の杵屋六三郎の言及

【長唄】より

…3世杵屋(きねや)勘五郎編《杵屋系譜》では,元和年間(1615‐24)に江戸に下った初世杵屋勘五郎杵屋の始祖とし,3代目杵屋勘五郎(杵屋の3代目であり,杵屋勘五郎名義では2世)を〈長哥三絃始祖〉としているが確証はない。次の野郎歌舞伎は元禄期(1688‐1704)を迎えて急速な進歩をとげ,顔見世的な総踊り以外に〈続き狂言〉の幕間にも舞踊が盛んに上演されるようになり,上方に岸野次郎三,山本喜市などの作曲者や三味線演奏者,江戸にも杵屋喜三郎,杵屋六三郎などが現れた。その伴奏音楽も最初は〈小うた〉〈うた〉などとも呼ばれていたが,元禄期ころからは〈長うた〉と呼ばれるようになった。…

※「杵屋六三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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