朝日日本歴史人物事典 「杵屋六左衛門(10代)」の解説
杵屋六左衛門(10代)
生年:寛政12(1800)
江戸後期の長唄三味線方。9代目六左衛門の次男で,前名を4代目三郎助といい,文化11(1814)年江戸森田座や,13年江戸河原崎座の顔見世番付に名がみえる。天保1(1830)年に六左衛門を襲名。同時代に活躍した4代目杵屋六三郎と並び称せられる三味線の名人で,作曲にも優れ,「五郎」「供奴」などのような歌舞伎用の長唄から,「秋色種」「常磐の庭」「鶴亀」のような純粋鑑賞曲まで幅広い。南部利済侯をパトロンに持ち,そうした大名たちとの交流から能楽などに接する機会が増え,そこから「外記節石橋」「翁千歳三番叟」など謡曲の詞章を取り入れた新しい長唄が生まれた。その影響であろうか,作風は全体に4代目六三郎よりもやや硬派で,演奏への姿勢も生真面目であったという。<参考文献>町田嘉章『長唄浄観』
(長葉子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報