朝日日本歴史人物事典 「杵屋勘五郎(5代)」の解説
杵屋勘五郎(5代)
生年:明治8(1875)
明治大正期の長唄三味線方。12代目杵屋六左衛門の次男。本名広吉。父六左衛門は,はじめ広吉を堅気の商人にしようとしたが,その技量がすばらしく,長唄界にとどめたという。初名2代目栄蔵。13代目喜三郎を経て明治35(1902)年,5代目勘五郎を襲名する。兄の13代目六左衛門と共に歌舞伎長唄の育成に努めるとともに,積極的に関西に進出して江戸長唄を広め,植木店派(杵屋六左衛門家)の隆盛を図った。不幸にも病魔に冒され42歳で没したが,特にその作曲技量は兄をしのぐものがあり,「里廼四季」「新曲浦島」(ともに兄弟の合作),「島の千歳」「多摩川」などを残している。勘五郎の名跡は,平成期まで6代を数える。<参考文献>町田博三『長唄稽古手引草』
(植田隆之助)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報