松岡明義(読み)まつおか・あきよし

朝日日本歴史人物事典 「松岡明義」の解説

松岡明義

没年:明治23.6.22(1890)
生年:文政9.5(1826)
幕末明治期の有職故実家。通称は重三郎,太郎。祖父辰方,父行義ともに有職学をもって久留米藩(福岡県)有馬家に仕えた。明義も家学を継承し有馬家江戸屋敷に仕える。日野家,竹屋家,裏松家に学ぶ。江戸幕府礼法師範も務めた。維新後は明治3(1870)年神祇権大史に任じられる。その後,式部寮,文部省などを経て,女子師範学校,皇典講究所教授を務め,東京大学御用掛となる。13年から『古事類苑』の編纂に従った。<著作>『差貫考』『坐具類聚』『申酉雑記』

(白石良夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松岡明義」の解説

松岡明義 まつおか-あきよし

1826-1890 幕末-明治時代の有職(ゆうそく)家。
文政9年5月生まれ。松岡辰方(ときかた)の孫。松岡行義(ゆきよし)の子。筑後(ちくご)(福岡県)久留米(くるめ)藩につかえ,江戸にすむ。維新後は神祇権大史(ごんだいし),女子師範学校教授,皇典講究所教授,東京大学御用掛などをつとめ,明治13年から「古事類苑」の編集にあたる。明治23年6月22日死去。65歳。幼名は明忠。通称は重三郎,太郎。著作に「差貫考」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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