松川弁之助(読み)まつかわ・べんのすけ

朝日日本歴史人物事典 「松川弁之助」の解説

松川弁之助

没年:明治9.7.27(1876)
生年:享和2.4.9(1802.5.10)
幕末明治期の北海道開拓者。名は重明,弁之助は通称越後国蒲原郡井栗村(新潟県三条市)の大庄屋松川三之助重基の6男。父の遺志ともいえる北地開拓への関心から,安政3(1856)年人夫多数を率いて箱館に渡り箱館御用取扱となり,箱館近辺の開墾を行い,五稜郭土木工事を担当した。さらに樺太漁場経営をも担当したが不漁年が続き,志半ばで撤退,郷里へ戻った。<参考文献>内橋潔『新潟県北洋漁業発展誌』,北海道総務部編『北海道開拓功労者関係資料集録』下

(紺野哲也)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松川弁之助」の解説

松川弁之助 まつかわ-べんのすけ

1802-1876 幕末の開拓者。
享和2年4月9日生まれ。越後(えちご)(新潟県)井栗村の大庄屋松川三之助の6男。父の遺志をついで北方開拓をこころざす。安政3年箱館(はこだて)にわたり,荒地を開墾,また五稜郭の築造従事。ついで樺太(からふと)で漁場の開拓をこころみたが失敗して帰郷。明治9年7月27日死去。75歳。名は重明(しげあき)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android