松平信明(読み)まつだいらのぶあきら

精選版 日本国語大辞典 「松平信明」の意味・読み・例文・類語

まつだいら‐のぶあきら【松平信明】

江戸中期の大名。三河国吉田藩主松平信綱子孫で、信礼の子。松平定信推挙老中となり、定信の片腕となって寛政改革を助けた。文化三年(一八〇六)再び老中となり一二年間天下の政務を行なう。宝暦一三~文化一四年(一七六三‐一八一七

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「松平信明」の意味・わかりやすい解説

松平信明
まつだいらのぶあきら
(1763―1817)

江戸後期の大名。信礼(のぶうや)の子。幼名春之丞(はるのじょう)。1770年(明和7)家督を継いで三河吉田7万石の藩主となり、77年(安永6)伊豆守(いずのかみ)に任じた。84年(天明4)奏者番(そうじゃばん)となり、やがて老中首座松平定信(さだのぶ)の信任を得て、88年2月側用人(そばようにん)に抜擢(ばってき)され、ついで4月老中に昇進、定信が断行した寛政(かんせい)の改革政治に活躍した。93年(寛政5)定信退任後は、老中首座となって改革の政治路線を継承、いわゆる「寛政の遺老」の中心人物となった。1803年(享和3)にいったん老中を辞したが、06年(文化3)ふたたび老中となり、17年(文化14)8月29日に没するまで幕閣の筆頭責任者として敏腕を振るった。「知恵伊豆(いず)」と称された松平伊豆守信綱(のぶつな)の7代目の子孫にあたるので「小伊豆」と称された。

竹内 誠]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「松平信明」の意味・わかりやすい解説

松平信明 (まつだいらのぶあきら)
生没年:1763-1817(宝暦13-文化14)

江戸後期の大名。三河国吉田藩主。信礼(のぶうや)の子。母は村雨氏。幼名春之丞。伊豆守。1770年(明和7)幼くして家督を継ぎ,奏者番・側用人(そばようにん)を経て88年(天明8)老中に就く。松平定信をたすけて寛政改革を推進したが,定信の引退後は老中首座にすすみ,改革の方針を踏襲した。1803年(享和3)老中を退いたが06年(文化3)復帰し,没時までその職にあった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「松平信明」の解説

松平信明

没年:文化14.8.29(1817.10.9)
生年:宝暦10(1760)
江戸後期の老中。父は信礼。通称は春之丞。伊豆守。明和7(1770)年三河(愛知県)吉田藩7万石を継ぐ。側室の多いことを松平定信に注意され,深く反省したという。その定信に信任され,天明8(1788)年側用人,次いで老中となり寛政の改革に協力。尊号事件の公家処罰をめぐり定信と対立するなど,気骨ある人物だった。定信辞職(1793)後の幕政の中心となる。享和3(1803)年病気で辞職したが,文化3(1806)年再任され老中首座となり死ぬまで務めた。「寛政の遺老」のひとりとして改革政治を継続したが,蝦夷地直轄,開発策をとり,改革期とは反対の政策も推進した。

(藤田覚)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「松平信明」の解説

松平信明
まつだいらのぶあきら

1760~1817.8.29

江戸後期の老中首座。三河国吉田藩主。父は信礼。1770年(明和7)遺領相続。奏者番・側用人をへて88年(天明8)老中に就任。松平定信の寛政の改革を助けた。93年(寛政5)定信失脚後,老中首座となり,本多忠籌(ただかず)・牧野忠精(ただきよ)・戸田氏教らとともに改革路線を引き継いだ。また「寛政重修諸家譜」の編纂を主宰した。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松平信明」の意味・わかりやすい解説

松平信明
まつだいらのぶあきら

[生]宝暦10(1760).江戸
[没]文化14(1817).8.29. 江戸
江戸時代後期の三河吉田藩主,幕府老中。川越藩主松平信綱7代の孫。信礼 (のぶうや) の子。定信の片腕として寛政の改革で活躍した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

367日誕生日大事典 「松平信明」の解説

松平信明 (まつだいらのぶあきら)

生年月日:1763年2月10日
江戸時代中期;後期の大名
1817年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の松平信明の言及

【吉田藩】より

…三河国(愛知県)吉田に藩庁を置いた譜代中小藩。1869年(明治2)版籍奉還の際,豊橋藩と改称。1601年(慶長6)松平(竹谷)家清,12年松平(深溝)忠利,32年(寛永9)水野忠清,42年水野忠善,45年(正保2)小笠原忠知,97年(元禄10)久世重之,1705年(宝永2)牧野成春,12年(正徳2)松平(大河内)信祝(のぶとき),29年(享保14)松平(本庄)資訓,49年(寛延2)松平(大河内)信復(のぶなお)と,近世中期まで大名の交替が相次ぎ,歴代には小笠原長重,久世重之,松平信祝,信明(のぶあきら),信順(のぶより),信古(のぶひさ)と幕府の要職についたものが多い。…

※「松平信明」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android