精選版 日本国語大辞典 「松浦静山」の意味・読み・例文・類語
まつら‐せいざん【松浦静山】
まつうら‐せいざん【松浦静山】
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(笠谷和比古)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
江戸後期の大名。肥前平戸藩9代の藩主。江戸藩邸に生まれた。幼名英三郎のち清(きよし),静山は号。8代藩主誠信(さねのぶ)の三男政信の子であったが,1771年(明和8)父卒するや,祖父の世子となり,75年(安永4)2月,祖父の致仕に伴って襲封し,6万1700石を領した。あたかも藩は慢性化した財政難にあったため,ただちに人事の刷新を断行し,藩政執行部を一新し,緊縮経済を確立し,財政収入の確保と計画的な処理を徹底するため,具体的な計画を立て,実行に移して,大きな成果をあげた。一方,藩校維新館を設置し,教育の組織化に努め,また城門外に薬局を創設して庶民の治療にあたらせるなど文治政策を強力に進めた。1806年(文化3)病を理由に致仕し,以後学問に専念し,書斎楽歳を造り,修史のため書籍を集め,平戸版刊行にも尽くした。随筆《甲子(かつし)夜話》28巻は有名であり,川柳にも興味を持っていた。
執筆者:朝倉 治彦
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1760.1.20~1841.6.29
江戸中・後期の大名。肥前国平戸藩9代藩主。父は8代誠信(さねのぶ)の子政(まさし)。名は清。別号雲洲。壱岐守。1775年(安永4)家督相続。同年初入国し「訓戒十条」を開示して財政再建を推進。殖産興業・新田開発を奨励。藩校維新館,江戸に感恩斎文庫,平戸に楽歳堂文庫を創設。3万冊以上の和漢洋の書籍を収集。1806年(文化3)隠居。21年(文政4)随筆「甲子夜話(かっしやわ)」278巻を著す。
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…肥前国(長崎県)北松浦郡平戸に藩庁を置いた外様中藩。藩主は松浦氏。6万1700石。松浦党に系譜をひく平戸松浦氏は,党の単位細胞である平戸党の結束を通じて在地領主として発展し,隆信(道可)の時代には,北松浦郡と壱岐国を領有する戦国大名に発展した。1587年(天正15)豊臣秀吉の九州征伐後,本領を安堵されて近世大名となった。石高は6万3200石であったが,1664年(寛文4)4代藩主鎮信(しげのぶ)(天祥)のとき,従弟信貞に今福1500石を分知した。…
※「松浦静山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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