林読耕斎(読み)はやしどくこうさい

改訂新版 世界大百科事典 「林読耕斎」の意味・わかりやすい解説

林読耕斎 (はやしどくこうさい)
生没年:1624-61(寛永1-寛文1)

江戸前期の儒者。名は靖,字は彦復,通称は春徳。林羅山の四男として京都に生まれる。のち江戸に下り,父や兄の鵞峰(がほう)に続いて徳川幕府儒官となった。博学強記を世に称せられたが,38歳で没した。著書に《読耕斎全集》《本朝遯史(とんし)》などがある。学統は当然のことに朱子学であるが,官学の宗家たる父や兄ほどには朱子学の正統を守らねばならないという制約が強くなかったので,詩文には必ずしも朱子学の道学主義にとらわれない自由な感慨を漏らすことが多い。《本朝遯史》は,《荘子》の影響のもとに,上代から中世に至る日本の隠者51名の伝記をつづった書で,上記のような読耕斎の姿勢をよく表している。
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朝日日本歴史人物事典 「林読耕斎」の解説

林読耕斎

没年:寛文1.3.12(1661.4.11)
生年:寛永1.11.21(1624.12.31)
江戸前期の儒学者。初名守勝,のち靖または春徳。初字子文,のち彦復。通称右近。函三,読耕斎と号す。林羅山の4男。京都に生まれ,のち江戸移住。幼より兄鵞峰から読書を,また堀杏庵,那波活所ら羅山門人や金地院の良長老に学問を受く。博覧強記で,父や水戸家の蔵書を読破し,詩歌連句にいそしみ,『豊臣秀吉譜』『中朝帝王譜』編選などで父の代作を務め,朝鮮通信使と筆談した。多病にして官事を好まず,叔父方分家の相続を幕閣から再三勧められるが従わず,正保3(1646)年,老中連中の請によりやむなく剃髪して幕儒となる。明暦2(1656)年,法眼。主著の隠者叢伝『本朝遯史』は彼の隠逸志向の発露。詩仙堂三十六詩仙選出をはじめとして,その文事は初期林家の享楽的一面を示す。<著作>『読耕先生全集』

(宮崎修多)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「林読耕斎」の解説

林読耕斎 はやし-どっこうさい

1625*-1661 江戸時代前期の儒者。
寛永元年12月28日生まれ。林羅山(らざん)の4男。林鵞峰(がほう)の弟。松永尺五(せきご)にまなぶ。正保(しょうほ)3年(1646)幕府の儒官となり,別家をたてる。兄とともに「羅山先生集」を編集した。万治(まんじ)4年3月12日死去。38歳。京都出身。名は守勝,靖。字(あざな)は子文,彦復。通称は右近。僧号は春徳。著作に「本朝遯史(とんし)」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「林読耕斎」の解説

林読耕斎 (はやしどっこうさい)

生年月日:1624年11月21日
江戸時代前期の儒学者
1661年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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