柏木御厨(読み)かしわぎのみくりや

日本歴史地名大系 「柏木御厨」の解説

柏木御厨
かしわぎのみくりや

現水口町域の野洲やす川流域を中心に南はそま川、北はおもい川流域に比定される。本郷、上山村かみやまむら郷・中山村郷・下山村郷(山村郷)酒人さこうど郷の柏木五ヵ郷と宇治河原うじがわら保に分れていた。もとは源義光の所領で、園城おんじよう金光こんこう院を建立して子息覚義を住持とし、柏木・山村両郷を仏聖灯油料と修理造営要脚料に充てたという。義光は永久元年(一一一三)五月一一日に両郷を関白藤原忠実家に本家職を寄進して摂関家の牧とし、国衙から雑役免除の庁宣を受けて覚義に所領を譲渡した(永久二年七月二一日「源義光処分状案」園城寺伝記)。義光流の源義兼も柏木庄を基盤にした武将で柏木冠者と称し、以仁王の平家追討の令旨に応じて挙兵したが、治承四年(一一八〇)に平知盛の軍勢に敗れて敗走した(「吾妻鏡」同年一二月一日条)。永和元年(一三七五)九月にも五ヵ郷から金光院への供料が認められているから(「六角高経遵行状」若王子神社文書)、金光院領も絶えることなく伝領されていたと考えられる。

建久三年(一一九二)八月日の伊勢神宮神主請文写(神宮文庫蔵)によると、当御厨は長寛三年(一一六五)の設置で、文治三年(一一八七)九月四日に宣旨を受けて伊勢外宮領とされたという。また建久三年当時は供祭物上分米三石、正月の節句神事直会料米二〇石が賦課されていた。元徳三年(一三三一)当時の見作田は五ヵ郷で二九八町余(「柏木御厨年貢注進目録」山中文書、以下同文書は省略)。「神鳳鈔」によれば最初の御厨田数は三六町で、のち新御厨三〇町が加えられて上分米六石九升が加徴されたとする。前掲年貢注進目録に記載のない宇治河原は、野洲川と杣川の三角洲に位置する宇治河原保が加納として加えられたものとされる。

鎌倉時代末、山中やまなか(現土山町)から宇田うつたに御家人山中氏が惣領家を分けるかたちで移り住み(土山町の→山中村南北朝期からは柏木御厨惣庄(惣郷)検断職と宇治河原保司職を伝領した(建武二年一二月三日神祇権大副大中臣某御教書など)。柏木御厨と宇治河原保の両保田を合せて甲賀保と称し、年八度の官幣使供給雑事以下神役・公役を勤仕した(暦応四年九月一二日伊勢祭主某御教書)祭主保とみえるのもこれをさすものと考えられる。また各郷にはそれぞれ下司職が置かれていたが、上山村郷下司職は宇田山中氏に継承された(貞治三年六月三日山中道俊処分状)。御厨内の本郷地頭職室町幕府地方頭人摂津氏惣領の所領で、親秀から能直に譲渡され、御厨内山三ヵ村(山村郷)と酒人郷はその他の子女に譲渡されている(暦応四年八月七日「摂津親秀譲状」美吉文書)

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百科事典マイペディア 「柏木御厨」の意味・わかりやすい解説

柏木御厨【かしわぎのみくりや】

近江甲賀郡にあった伊勢神宮領の御厨。現在の滋賀県甲賀市のうち旧水口(みなくち)町域。もと源義光の所領で,園城(おんじょう)寺金光(こんこう)院を建立してその住持に子の覚義をあて,柏木郷・山村郷を仏聖灯油料などとして寄進した。さらに1113年に両郷の本家職を関白藤原忠実に寄進して摂関家の牧とした。1165年に御厨(みくりや)として設けられ,1187年に伊勢外宮(げくう)領とされた。1331年の検注では見作(げんさく)田298町余で,柏木本郷・酒人(さこうど)郷・上山村郷・中山村郷・下山村郷の5ヵ郷があった(山中文書)。また別に宇治河原保があり,柏木御厨の保田と合わせて甲賀保と称された。荘官にはこれら諸郷の下司(げし)職,惣郷の検断職,祭主保の保司(ほし)職があり,本郷の地頭職は摂津氏がもったが,検断職・保司職は山中氏が相伝し,下司職や名主(みょうしゅ)職は山中氏と伴氏が分有したらしい。山中氏は室町幕府御家人として守護の支配から独立的な勢力を保ち,細川晴元政権下では摂津国内の郡代として活躍,甲賀郡内では伴氏・美濃部氏と柏木三方中を結び,甲賀郡中を支えた。

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改訂新版 世界大百科事典 「柏木御厨」の意味・わかりやすい解説

柏木御厨 (かしわぎのみくりや)

中世の伊勢神宮領の御厨(荘園)。現在の滋賀県甲賀市の旧水口町北西部にあった。12世紀初期に源義光が柏木・山村両郷を摂関家の牧として寄進したのに始まると伝えるが,1165年(永万1)に伊勢外宮領として立荘された。以後荘域が確定するとともに開発が進み,1331年(元弘1)の検注では,本郷・酒人郷・上山村郷・中山村郷・下山村郷の5ヵ郷で見作田299町歩余となった。その間に伊勢神宮は祭主保も設けたので,現地の荘官としては惣郷の検断職,各郷の下司職,祭主保の保司職があった。検断職と保司職は山中氏が世襲し,下司職や名主職は山中氏と伴氏が分有したようである。山中氏は惣領家が鈴鹿関付近から柏木本郷の宇田に移住し,野洲川沿岸の本郷・酒人郷一帯に勢力を築いた。伴氏は北部丘陵地帯の上山・中山・下山郷一帯に蟠踞(ばんきよ)した。両氏は戦国期に東隣の美濃部氏とともに柏木三方中という地域連合を組織し,甲賀郡中惣の有力構成員となった。
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世界大百科事典(旧版)内の柏木御厨の言及

【山中氏】より

…橘諸兄(もろえ)の後裔といい,義清の代に山中氏を名のる。1216年(建保4)俊直が俊信に山中村地頭職と柏木御厨の上山村友行名を譲っているが,平安・鎌倉期の動向には不明な点が多い。ただし67年(文永4)俊信跡の大番役を有俊が務めているところからみて,御家人であったことは確かなようである。…

※「柏木御厨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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