柳成竜(読み)りゅうせいりゅう(英語表記)(R)Yu Sǒng-nyong

改訂新版 世界大百科事典 「柳成竜」の意味・わかりやすい解説

柳成竜 (りゅうせいりゅう)
(R)Yu Sǒng-nyong
生没年:1542-1607

朝鮮,李朝の文臣。字は而見。号は西厓。李退渓に学ぶ。壬辰倭乱文禄の役)の際,左議,領議政,兵曹判書,都体察使をつとめる。1591年,豊臣秀吉侵略の危険を察し,金誠一の対日派遣,李舜臣登用などを行い,防衛体制の整備につとめた。しかし国内の動揺をさけるため,金誠一とともに〈日本の侵略はない〉と主張したので,戦争が起こると一時失脚させられたが,やがて復職し,内政・外交(対明関係)に努力し,日本軍の撃退功績をあげた。98年,戦争終結後,日明講和問題などの責任を問われて免職され,隠棲して《懲毖録(ちようひろく)》を著し,壬辰・丁酉倭乱(文禄・慶長の役)の経緯を記録し,後世へのいましめとした。文集に《西厓集》がある。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柳成竜」の解説

柳成竜 りゅう-せいりゅう

1542-1607 朝鮮王朝官僚
中宗37年10月11日生まれ。1566年文科に及第。壬辰倭乱(じんしんわらん)(文禄(ぶんろく)の役)の際,兵曹判書(軍務長官),都体察使(諸将の監督),領議政(宰相)などをつとめ,李舜臣を登用して日本軍の撃退に成功する。戦後「懲毖録(ちょうひろく)」をあらわした。宣祖40年5月6日死去。66歳。字(あざな)は而見(じけん)。号は西厓。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の柳成竜の言及

【懲毖録】より

…朝鮮,16世紀末の書。著者は柳成竜。壬辰・丁酉倭乱(文禄・慶長の役)の過程を,戦争の様相,義兵の活躍,明軍との関係,李舜臣らの人物像などについて,直接の担当者であった著者が,体験をもとに後世へのいましめとして詳述している。…

※「柳成竜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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