柳田泉(読み)やなぎだいずみ

改訂新版 世界大百科事典 「柳田泉」の意味・わかりやすい解説

柳田泉 (やなぎだいずみ)
生没年:1894-1969(明治27-昭和44)

大正・昭和期の近代文学研究者。筆名,春生,東里,甫木山茂。号,虚白堂。青森県中津軽郡豊田村外崎(現,弘前市)出身。1918年早稲田大学文学科英文学科卒業とともに大日本文明協会編集部に入る。また春秋社創立に伴い,《トルストイ全集訳者の一人となり,内田魯庵木村毅と知る。翌年早稲田中学校の英語教員となったが半年で辞め,以後翻訳研究に専念し,春秋社の編集顧問格となって《大自然と霊魂対話》以下を次々に訳刊した。この間,23年の関東大震災契機明治文学の本格的研究に着手し,翌年結成の明治文化研究会参加坪内逍遥幸田露伴,三宅雪嶺の文芸・哲学思想から強い影響を受け,以後,徹底した資料収集と幅広い明治文学研究に邁進(まいしん)し,今日の近代文学研究の基礎を築き上げた。35年早大講師,41年に教授となる。《明治初期の翻訳文学》(1935),《政治小説研究》(全3巻,1935-39),《明治初期の文学思想》(全2巻,1965)をはじめ,明治文学研究の先駆者としての多くの業績がある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「柳田泉」の意味・わかりやすい解説

柳田泉
やなぎだいずみ
(1894―1969)

国文学者、翻訳家。青森県中津軽郡の農家の生まれ。早稲田(わせだ)大学英文科卒業後、『トルストイ全集』の訳業に関係、内田魯庵(ろあん)や木村毅(き)を知る。関東大震災による文献焼失に感じ、広範な資料収集を基盤とした明治文学の研究に着手、1924年(大正13)発足の明治文化研究会にも参加。晩年の三宅雪嶺(みやけせつれい)、幸田露伴(ろはん)の知遇も得、和漢洋の膨大な知識、硬派の文学まで及ぶ目配りを支えに、手堅い実証的研究を推進。長く母校の教壇に立つかたわら、『政治小説研究』三巻(1935~39)、『随筆明治文学』正続(1936、38)のほか、『若き坪内逍遙(しょうよう)』(1960)、『明治初期の文学思想』上下(1965)など多数の研究書、カーライルなどの翻訳があり、学界からもその人ありと長く敬愛された。

[中島国彦]

『明治文化研究会編『柳田泉自伝』(1972・広文庫)』『柳田先生記念会編・刊『柳田泉先生年譜竝著作目録』(1965)』

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百科事典マイペディア 「柳田泉」の意味・わかりやすい解説

柳田泉【やなぎだいずみ】

日本近代文学研究者。青森県生れ。1918年早稲田大学文学科英文学科卒。同年春秋社の《トルストイ全集》の翻訳に加わる。翌年早稲田中学校の英語教員となったが半年で辞め,以後翻訳研究に専念,1922年春秋社の編集顧問格となった。1923年の関東大震災を契機に明治文学の本格的研究に着手し,翌年明治文化研究会に参加,以後,徹底した資料収集と視野の広い明治文学研究で,その進展に指導的役割を果たした。1935年早大講師,1941年教授となる。著書に《明治初期の翻訳文学》(1935年),《政治小説研究》全3巻(1935年−1939年),《明治初期の文学思想》全2巻(1965年)などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「柳田泉」の解説

柳田泉 やなぎだ-いずみ

1894-1969 大正-昭和時代の英文学者,国文学者,翻訳家。
明治27年4月27日生まれ。「トルストイ全集」「カーライル全集」などの訳業にたずさわる。関東大震災を機に明治文学の研究にとりくみ,「明治文化全集」の編集に参加。また昭和10年より30年間母校早大の教壇にたった。昭和44年6月7日死去。75歳。青森県出身。著作に「政治小説研究」「随筆明治文学」など。

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