栃木山守也(読み)トチギヤマモリヤ

デジタル大辞泉 「栃木山守也」の意味・読み・例文・類語

とちぎやま‐もりや【栃木山守也】

[1892~1959]力士。第27代横綱。栃木県出身。本名、中田守也。旧姓横田はず押しの名人で、大正5年(1916)には太刀山たちやま連勝を56で止める快挙を成し遂げた。優勝9回。引退後、年寄春日野。→第26代横綱大錦 →第28代横綱大錦 

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改訂新版 世界大百科事典 「栃木山守也」の意味・わかりやすい解説

栃木山守也 (とちぎやまもりや)
生没年:1892-1959(明治25-昭和34)

大正期の力士。27代横綱。栃木県藤岡町(現,栃木市)の農家に生まれた。本名中田守也。家出して,18歳で横綱常陸山谷右衛門のいる出羽海部屋に入門,1911年1月初土俵,5月序ノ口に出てから7場所,3年半で黒星わずか3個というスピード出世で,15年1月入幕した。翌16年5月小結で56連勝の横綱太刀山を破り一躍花形力士になった。17年1月関脇,5月大関となり,大関2場所目の18年1月,全勝して横綱免許となった。身長171cm,体重105kgの恵まれない体格ながら,猛稽古によって,相手にまわしを与えないはず押しの近代相撲を完成した。25年1月,9回目の優勝を最後に引退,連続優勝5回,7年14場所の横綱在位勝率は9割3分5厘と抜群の成績であった。31年,第1回大日本相撲選手権大会に年寄春日野として出場し,玉錦,天竜らを倒し,39歳で日本選手権を獲得した。協会理事を長く務め,栃錦,栃ノ海の2横綱らを育てた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「栃木山守也」の意味・わかりやすい解説

栃木山守也
とちぎやまもりや
(1892―1959)

第27代横綱。横綱常陸山(ひたちやま)(後の出羽海(でわのうみ))の門下。現在の栃木県栃木市藤岡町地区に生まれ、18歳で相撲(すもう)界に入門。1916年(大正5)には太刀山(たちやま)の57連勝を阻む快挙を成し遂げ、1918年1月、大関二場所のあと横綱に昇進した。筈(はず)押しの名人で、優勝9回(連続5回)、身長1.72メートル、体重105キログラム。1925年に引退して年寄春日野(かすがの)を襲名。鹿島洋(かしまなだ)、神東山、相模(さがみ)川、栃錦(とちにしき)、栃ノ海(1938―2021)らを養成し、相撲協会取締として相撲興隆に貢献した。死後、元力士として初の勲四等瑞宝章(ずいほうしょう)を贈られた。

池田雅雄]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「栃木山守也」の解説

栃木山守也 とちぎやま-もりや

1892-1959 大正-昭和時代の力士。
明治25年2月5日生まれ。43年出羽海部屋に入門。大正4年入幕,7年第27代横綱となる。はず押しの名人で,優勝9回。14年引退し年寄春日野を襲名,栃錦,栃ノ海らをそだてた。昭和6年第1回大日本相撲選士権大会で現役の横綱玉錦,関脇天竜らをやぶって優勝した。昭和34年10月3日死去。67歳。栃木県出身。本名は中田守也。旧姓は横田。

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