デジタル大辞泉
「栃錦清隆」の意味・読み・例文・類語
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栃錦清隆【とちにしききよたか】
力士。第44代横綱。左四つからの上手出し投げを得意とし,名人横綱といわれた。本名中田清。東京都生れ。春日野部屋所属。1939年初土俵,1947年入幕。小兵ながら,多彩な技とねばり強さで1954年に横綱に昇進。若乃花幹士とともに〈栃若時代〉を築き,優勝10回。1960年引退後は年寄春日野として横綱栃ノ海らを育て,1974年日本相撲協会理事長となり,1986年には新国技館の建設を実現した。幕内成績513勝203敗1分44休。
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栃錦清隆
とちにしききよたか
[生]1925.2.20. 東京
[没]1990.1.10. 東京
第 44代横綱。本名中田清。 1939年春初土俵。幕下時代は同門の出羽錦と組んで花相撲で初っ切り相撲などを行なっていた。技能力士として幕内で頭角を現し,連続優勝を含む優勝4回ののち,1954年秋場所後横綱。同時に昇進したライバル横綱若乃花 (→若乃花幹士 ) との名勝負は有名で,「栃若時代」を築き上げた。技能賞9回,優勝 10回。 1960年5月引退,年寄春日野を襲名。 1974年日本相撲協会理事長。 1985年両国に新国技館をつくり,1988年二子山 (1代目若乃花) に理事長の椅子を譲った。
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栃錦清隆
とちにしききよたか
(1925―1990)
第44代横綱。春日野(かすがの)(元横綱栃木山)の門下。東京都江戸川区小岩に生まれ、13歳で相撲(すもう)界に入門。1939年(昭和14)初土俵、1954年(昭和29)に横綱の免許を得た。同時代の横綱若乃花(わかのはな)の好敵手で「栃若時代」を築き、相撲界に寄与した。技能横綱とよばれ、優勝10回、技能賞9回獲得。身長1.74メートル、体重116.2キログラム。1960年夏引退。師匠の養子になり春日野を相続。相撲協会理事長(1974~1988)。本名中田清。
[池田雅雄]
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栃錦清隆 とちにしき-きよたか
1925-1990 昭和時代の力士。
大正14年2月20日生まれ。昭和13年春日野部屋に入門。22年入幕,多彩な技により技能賞を9回獲得。29年第44代横綱となり,初代若乃花とともに「栃若時代」をきずいた。35年引退。優勝10回。年寄春日野を襲名。49年日本相撲協会理事長となり,60年新国技館を完成させた。平成2年1月10日死去。64歳。東京出身。本名は中田清。旧姓は大塚。
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