桂久武(読み)かつら・ひさたけ

朝日日本歴史人物事典 「桂久武」の解説

桂久武

没年:明治10.9.24(1877)
生年:天保1.5.28(1830.7.18)
幕末薩摩(鹿児島)藩士。日置領主島津久風の5男,安政2(1855)年桂久徴の養子となる。詰衆,当番頭,造士館掛,久徴の家老罷免に伴い文久1(1861)年大島守衛方,元治1(1864)年大目付,家老加判役。慶応2(1866)年,上洛木戸孝允を厚遇し薩長連合を承認。以来,西郷隆盛から厚い信頼を寄せられ,武力討幕論を支持。維新後の明治3(1870)年西郷と共に藩権大参事。翌年都城参事,同6年豊岡県権令の辞令を受けたが病を理由に辞す。同10年西南戦争では西郷軍のなかにあり,城山落城の日に流弾に当たり死去

(井上勲)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「桂久武」の解説

桂久武 かつら-ひさたけ

1830-1877 幕末-明治時代武士
文政13年5月28日生まれ。薩摩(さつま)鹿児島藩士。造士館掛などをへて家老加判役にすすむ。維新後は鹿児島藩権大参事などをつとめる。西南戦争では西郷軍の兵站(へいたん)部を担当し,明治10年9月24日城山で戦死した。48歳。本姓は島津。初名は歳貞。通称は小吉郎,右衛門,四郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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