桂園内閣(読み)けいえんないかく

世界大百科事典(旧版)内の桂園内閣の言及

【大正時代】より

… 1905年9月の非講和運動は〈外には帝国主義内には立憲主義〉の理念に指導される全国的都市民衆運動として,大正デモクラシー運動の起点となったが,〈外に帝国主義〉の色彩は,1907年から09年にかけて展開された全国商業会議所連合会を中心とする軍拡反対悪税廃止運動により弱められ,13年初めの護憲運動にいたる。政府が民衆の不満を押さえて軍拡を進めるには政党の力を借りざるを得ず,1906年1月には政友会総裁西園寺公望を首班とする内閣が,官僚派代表たる長州閥の桂太郎内閣に代わって登場し,08年7月第2次桂,11年8月第2次西園寺と,交互に政権を担当する〈桂園内閣〉時代を現出した。政友会は実力者原敬の領導のもと,鉄道敷設,港湾修築など,制限選挙下有権者の大半を占める農村地主層の利益をはかる〈積極政策〉を推進し,1908年,12年の総選挙に安定多数を獲得し,つねに政府与党の地位を確保し,政治的発言権を著しく増大させた。…

※「桂園内閣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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