精選版 日本国語大辞典 「桂文楽」の意味・読み・例文・類語
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落語家。初代は江戸系の3代桂文治、2代は5代文治、3代は6代文治のそれぞれ前名。
[関山和夫]
(1838―94)本名新井文三。6代目文治に入門し、文七から文鏡に改名。一時、幇間(ほうかん)生活を送り、落語界に復帰して4代目を襲名。高座での口癖から「でこでこの文楽」とよばれ、吉原を背景にした人情咄(ばなし)を得意とした。
[関山和夫]
(1865―1925)本名金坂巳之助(みのすけ)。1897年(明治30)5代目襲名。のち桂やまとから桂才賀(さいが)となる。
[関山和夫]
(1892―1971)本名並河益義(なみかわますよし)。1908年(明治41)初代桂小南(こなん)に入門して小莚(こえん)。名古屋、京都、満州(中国東北)などを回って東京に帰り、翁家(おきなや)さん馬(8代文治)門下となって翁家さん生。5代柳亭左楽(りゅうていさらく)門人として翁家馬之助で真打。1920年(大正9)文楽を襲名。正しくは6代目だが、末広がりで縁起がよいと、8代目と称する。その居住地にちなみ「黒門町の師匠」とよばれ、『富久(とみきゅう)』『愛宕山(あたごやま)』『船徳(ふなとく)』『明烏(あけがらす)』『つるつる』『寝床(ねどこ)』『厩(うまや)火事』などで一点一画もゆるがせにしない、洗練された名人芸を完成させた。1955年(昭和30)から10年間、落語協会会長を務めた。1992年(平成4)8代文楽の弟子であった桂小益(本名武井弘一、1938― )が9代文楽を襲名した。
[関山和夫]
『『桂文楽全集』上下(1973・立風書房)』
落語家。初代は3代桂文治。2代は5代文治。3代は6代文治。(1)4代(1838-94・天保9-明治27) 本名新井文三。もと印判屋。6代文治に入門し,文七から文鏡になったところで,松廼家〆寿(まつのやしめじゆ)の名で新富町から幇間(ほうかん)に出て,吉原に転じて荻江文三と称したが,落語界に復帰して4代目襲名。幇間の経験がものをいい,《音羽丹七》《雪の瀬川》などの花柳界物を得意にし,その口ぐせから〈デコデコの文楽〉と呼ばれた。(2)8代(1892-1971・明治25-昭和46) 本名並河益義。初代桂小南に入門して小莚(こえん)といったが,のち7代翁家(おきなや)さん馬(8代桂文治)に師事し,さん生から馬之助で真打昇進。さらに5代柳亭左楽門下になって文楽を襲名。実際は7代だが,八は開くという縁起をかついで8代と称する。《富久》《寝床》《明烏》などの細密な演出で名人芸とうたわれた。
4代と8代とのあいだは,桂やまと(1925没)の金阪己之助が文楽を襲名した以外は不明。
執筆者:興津 要
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… 円朝と同時代にはまた多くの名手がいた。円朝と並ぶ人情噺の名手初代柳亭(談洲楼(だんしゆうろう))燕枝(えんし),やはり人情噺をよくした3代麗々亭柳橋(れいれいていりゆうきよう)(のち春錦亭柳桜(しゆんきんていりゆうおう))(1835‐97),芝居噺の名手6代桂文治,花柳物の名手4代桂文楽,落し咄,人情噺ともによくした2代古今亭志ん生,滑稽噺の2代柳家(禽語楼(きんごろう))小さんなどがそれだった。異彩を放ったのは,〈ステテコ踊り〉の,俗に初代ともいう3代三遊亭円遊,鉄道馬車のラッパを吹く音曲師4代橘家(たちばなや)円太郎(?‐1898),〈郭巨(かつきよ)の釜掘り踊り〉の4代立川談志(?‐1889),〈ヘラヘラ踊り〉の三遊亭万橘(まんきつ)(?‐1894)という〈寄席四天王〉で,彼らは珍芸を売物にして人気を博した。…
※「桂文楽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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