桜川(読み)さくらがわ

精選版 日本国語大辞典 「桜川」の意味・読み・例文・類語

さくら‐がわ ‥がは【桜川】

[1] 〘名〙
① 桜の花びらを一面に浮かべている川。多く(二)(一)と掛けて用いる。
※心敬集(1468頃)「桜がはあさけの露の月をだに青葉にさそふ春の山かぜ」
② 川ぞいに桜の咲く川。
※狂歌・徳和歌後万載集(1785)四「さくら川枝も氷のはるまではとぢてひらかぬ波のはつ花」
③ (①より) 衣服の模様などで、流水に桜の散っているさまのもの。
※洒落本・通言総籬(1787)一「『大かなやの正月の仕着せはなんだっけの』『〈略〉角の玉屋はぼたんさ。松がねやがさくら川さ』」
④ 植物「げんのしょうこ(現証拠)」の異名。〔重訂本草綱目啓蒙(1847)〕
※雑俳・柳多留‐九七(1828)「花に着た流れを売るは桜川」
⑥ 江戸時代、江戸芝宇田川町の山屋から販売されていた銘酒。天保(一八三〇‐四四)頃には浅草並木町の山屋からも販売。
※滑稽本・和合人(1823‐44)二「今朝山屋の桜川(サクラガハ)を取って置いたが肴(さかな)があるめへ」
[2]
[一] 滋賀県南部を流れる日野川(蒲生川)の上流をいう。佐久良川。一説に茨城県桜川(筑波川)のこととも。歌枕。
※後撰(951‐953頃)春下・一〇七「常よりも春べになれば桜河花の浪こそまなくよすらめ〈紀貫之〉」
[二] 東京都港区を流れていた川。赤坂方面から愛宕山付近を流れて、古川(赤羽川)に合流していたという。
[三] 茨城県の南西部を流れる川。筑波山地の西側のふもとを南流し、のち東南流して土浦市で霞ケ浦に注ぐ。上流の磯辺は謡曲「桜川」の舞台で、古くからサクラの名所。筑波川。
[四] 謡曲。四番目物。各流。世阿彌作。母の貧窮をみかねて人買いにわが身を売った桜子は、三年後の春に常陸国(茨城県)桜川で、狂女となってわが子の行方をさがしている母に再会する。
[五] 俳諧撰集。内藤風虎編。北村季吟序、松山玖也跋。延宝二年(一六七四)成立。四季類題別に作者数八一四名、計七〇三六句を収めた発句集。

さくらがわ さくらがは【桜川】

姓氏の一つ。

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デジタル大辞泉 「桜川」の意味・読み・例文・類語

さくら‐がわ【桜川】[茨城県の川]

茨城県南西部を流れる川。桜川市北部の高峰南麓の鏡ヶ池に源を発し、土浦市で霞ヶ浦に注ぐ。長さ63キロ。流域の水田地帯を灌漑かんがいする。上流の桜川市磯部は桜の名所。
茨城県中央部を流れる川。水戸市内で千波湖に沿い、那珂川に合流する。

さくらがわ【桜川】[姓氏]

江戸後期に興った、江戸吉原幇間ほうかんの姓の一。
桜川派」の略。

さくらがわ【桜川】[謡曲]

謡曲。四番目物世阿弥作。母のために自身を人買いに売った桜子さくらごが、常陸ひたち桜川で物狂いとなっている母と再会する。

さくらがわ【桜川】[茨城県の市]

茨城県中西部、筑波山の北麓にある市。霞ヶ浦に注ぐ桜川の上流域を占める。石材生産が盛ん。平成17年(2005)10月に岩瀬町・真壁町・大和村が合併して成立。人口4.6万(2010)。

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改訂新版 世界大百科事典 「桜川」の意味・わかりやすい解説

桜川[市] (さくらがわ)

茨城県中西部の市。2005年10月岩瀬(いわせ)町,真壁(まかべ)町と大和(やまと)村が合体して成立した。人口4万5673(2010)。

桜川市北部の旧町。旧西茨城郡所属。人口2万2739(2000)。加波山の北にあり,町域は八溝山地南部の小盆地を占める。中心集落の岩瀬は,JR水戸線(1889開通)と関東鉄道筑波線(1987廃止)の分岐点で,鉄道の開通を契機に商業中心として発展した。2008年には北関東自動車道の桜川筑西インターチェンジが開通している。農業は米作が中心で,葉タバコも栽培されている。北部の山地では花コウ岩の採石が行われ,石材加工や粘土瓦の製造が盛んである。磯部付近の桜川は桜の名所で,謡曲《桜川》の舞台として知られ,名勝に指定されている。735年(天平7)行基の開山と伝える富谷観音(小山寺)の三重塔(重要文化財)は1465年(寛正6)の建造である。月山寺,鴨大神御子神主玉神社,磯部稲村神社など古社寺が多い。

桜川市南部の旧町。旧真壁郡所属。人口2万0039(2000)。筑波山の北にあり,東部,南部は筑波山地の山麓,西部は台地となり,中央を桜川が南流して霞ヶ浦に注ぐ。中心集落の真壁は中世には真壁氏の支配下にあり,近世初期には真壁藩の城下町であった。明治期には製糸業が盛んになり,大正期以降は筑波山地山麓から採掘された花コウ岩を,土木・建築用や墓石,石灯籠に加工する石材工業が主産業となった。現在ほかに地場産業として製粉・製めん業や酒造業がある。葉タバコやトマト,ハクサイなど野菜も産する。筑波山北麓(裏筑波)には筑波高原キャンプ場があり,水郷筑波国定公園に属する。
執筆者:

1172年(承安2)真壁長幹が真壁城を築いて本拠とし,城の西側の地に小城下町が形成された。1602年(慶長7)真壁氏は秋田に移り,06年浅野氏が入封したが,22年(元和8)常陸国笠間に移封して廃城となった。以後,人家の密集した部分は町屋(まちや)村,古城のある部分は古城(ふるしろ)村とよばれ,ともに明治初年まで笠間藩領であった。1747年(延享4)以後,笠間藩(牧野氏)は町屋村に陣屋を置き,真壁領を支配させた。86年(天明6)町屋村の家数278,人数1072,馬48である。17世紀後半から六斎市が開かれ,酒・しょうゆの醸造業や石材加工も興り,周辺農村の商品流通の拠点として,在郷町の性格が強まった。とくに真岡(もおか)木綿生産地帯の一環として,縞木綿・さらし木綿の生産と取引が活発になり,六斎市も木綿取引を中心とする定期市に変じたが,19世紀に入ると周辺農村自体の商品流通が展開し,町屋村の定期市や商品取引は停滞した。1876年11月に地租改正反対一揆として有名な真壁騒動が発生した。
執筆者:

桜川市中部の旧村。旧真壁郡所属。人口7556(2000)。筑波山地北部の西麓にあり,中央を霞ヶ浦に注ぐ桜川が南流する。JR水戸線が通じる。近世にはワタの栽培が盛んで,木綿生産の中心地であった。明治期には筑波山地から採掘される花コウ岩を利用した石材業が盛んになり,現在も花コウ岩の墓石,灯籠,建材などの産地として知られる。雨引(あまびき)山麓の真言宗楽法寺(雨引観音)は坂東三十三所24番札所で,延命,子育ての観音として知られ,寺域は桜の名所である。4月10~11日には関東三大奇祭の一つといわれる〈マダラ鬼神祭〉が行われる。
執筆者:

桜川 (さくらがわ)

(1)能の曲名。四番目物。狂女物。世阿弥作。シテは桜子の母(狂女)。九州日向に住む桜子の母のもとに,人買いの男(ワキヅレ)が尋ねて来る。母の貧窮を見かねた桜子が身売りをしたので,その代金と書置の文を届けに来たのだった。母は泣く泣く家を迷い出る。東国常陸の桜川では花が満開で,近くの磯部寺(いそべでら)の住職(ワキ)が弟子の少年(子方)を連れて花見に出かける。そこへすくい網を持った狂女(後ジテ)が来かかって,物狂いのていを見せ(〈カケリ〉等),水面に散りかかる花びらをすくい,桜は故郷の神,木花之咲耶姫(このはなのさくやびめ)の神木でもあり,わが子の名であるといって落花を惜しむ(〈クセ・網ノ段〉)。やがて僧に連れられてきた少年がわが子とわかった狂女は,連れ立って故郷へ帰って行く。狂女物の典型的構成で素直にまとめた能で,クセと網ノ段が中心。長唄舞踊曲《賤機帯(しずはたおび)》などの原拠。
執筆者:(2)地歌箏曲の曲名。(a)藤永検校(1758年登官)作曲の三下り端歌。歌詞のほとんどを謡曲から採用。(b)光崎検校(1821年登官)作曲の京風手事物で,箏の手も自作。石野某作詞。〈波の花こそ……〉から〈げに面白や〉までは謡曲に拠るが,能の物語とは関係なく,桜川の初春のようすを歌っている。手事は2段あり,初段には〈芸妓三ッ物〉の《八重霞(やえがすみ)》の手事の初段を倍間で合わせることができ,二段目には〈砧地〉を合わせる。
執筆者:

桜川(旧村) (さくらがわ)

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日本歴史地名大系 「桜川」の解説

桜川
さくらがわ

西茨城郡岩瀬町のかがみヶ池に源を発し、筑波山の西から南を流れて霞ヶ浦の土浦入りに注ぐ。全長約六〇キロ。中流部で自然堤防をつくり、下流部では蛇行流路となって最大幅三キロの低地をつくり、河口付近では土浦市街の立地するデルタを形成する。古くは田中の油免たなかのあぶらめん付近から大きく湾曲して八幡神社前から土浦城北側を流れ、川口かわぐちに注いでいたが、文政三年(一八二〇)三月二七日の前沢家文書に「一、男女川落桜川之儀は城内洪水之節縊込候に付長禄三年八月より目論見寛正元年同二年と三ケ年懸り坂田前より下高津前堀切桜橋之落は打止と相見へ候」とあるように、坂田さかた(現新治郡新治村)付近から現在の流路を掘ったといわれる。

桜川
さくらがわ

桜川は鍬柄くわがら峠の西麓にあるかがみヶ池に発し、筑波山の西を流れて、土浦市で霞ヶ浦に注ぐ(土浦市の→桜川。このうち桜の名所として知られる桜川は磯部いそべ付近を流れるあたりをさし、現在は桜川に近い磯部稲村いそべいなむら神社周辺の台地上にある五〇〇本余の桜が国の天然記念物・名勝に指定されている。桜川は歌枕として知られ、「五代集歌枕」などの歌学書に載る。

<資料は省略されています>

謡曲「桜川」の舞台ともなり、「これは常陸国磯部寺の住僧にて候。(中略)又此あたりに桜川とて花の名所の候、今を盛りの由申し候程に、幼き人を伴なひ、只今桜川へと急ぎ候」と謡われる。

桜川
さくらがわ

那珂川の支流。東茨城郡内原町有賀ありがに端を発し、水戸市に入り河和田かわわだ見川みがわなどを東流、偕楽かいらく園の南で沢渡さわたり川を合流、千波せんば湖の北岸に沿って流れ、同湖の東でさかさ川を合流して下市しもいちを貫通、若宮わかみや町で那珂川に注ぐ。長さ約一三キロ。「水府地理温故録」に「緑岡の下なる流を桜川といふ。源は中妻領より出て川和田の地に入る。川和田と見和村との間なる土橋の下より見川村内丹下新田、鉄炮町打場へ入口土橋との間に桜川の名あり。

桜川
さくらがわ

大関おおぜき(九〇一・九メートル)に源を発し、久木野くぎの葦北あしきた芦北あしきた古石の上小場ふるいしのうわこばとの境界を流れる川で、久木野川の支流。久木野城跡の北を西流し、地獄じごく谷から南へ流れを転じて吐合はけあいで久木野川に合流する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「桜川」の意味・わかりやすい解説

桜川
さくらがわ

茨城県南東部,稲敷市北東部の旧村域。霞ヶ浦南岸にある。 1955年古渡 (ふっと) 村と浮島村が合体して桜川村が発足。 1956年阿波村を編入。 2005年江戸崎町,新利根町,町と合体して稲敷市となった。干拓による水田や蓮田が多い。レンコンは浮島れんこんとして有名。北東の浮島は景勝地。神宮寺,大杉神社の古社寺があり,広畑貝塚は国の史跡。水郷筑波国定公園に属する。

桜川
さくらがわ

栃木県境の山地に発し,茨城県中西部の桜川市を経て筑波山地西麓を南流,つくば市を貫流し,土浦市の中心市街地を通って霞ヶ浦に注ぐ川。全長約 60km。常陸台地を刻んで浅い谷をつくり,流路に沿った帯状の水田を灌漑する。桜川市内にサクラの名所があり,国の名勝・天然記念物に指定されている。謡曲『桜川』で知られる。

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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「桜川」の解説

さくらがわ【桜川】

栃木の日本酒。「花つくし」は精米歩合40%で仕込む大吟醸酒。ほかに純米吟醸酒吟醸酒本醸造酒などがある。平成8、18、22、25、26年度全国新酒鑑評会で金賞受賞。原料米は山田錦など。仕込み水は鬼怒川伏流水。蔵元の「辻善兵衛商店」は宝暦4年(1754)創業。所在地は真岡市田町。

さくらがわ【桜川】

茨城の日本酒。酒名は、室町時代の世阿弥の謡曲「桜川」の舞台とされる地に流れる桜川にちなみ命名。大吟醸酒、純米吟醸酒、吟醸酒、本醸造酒、普通酒がある。仕込み水は自家井戸水。蔵元の「堀川酒造店」は明治18年(1885)創業。所在地は桜川市岩瀬。

さくらがわ【桜川】

岡山の日本酒。蔵元は「黒田酒造」。現在は廃業。蔵は久米郡久米南町下弓削にあった。

さくらがわ【桜川】

福島の日本酒。蔵元は「桜川酒造」。現在は廃業。蔵は伊達郡桑折町字北町にあった。

出典 講談社[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションについて 情報

歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「桜川」の解説

桜川
(通称)
さくらがわ

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
薄雪今桜川
初演
宝永4(江戸・山村座)

桜川
さくらがわ

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
初演
寛文2.8(江戸・いにしへ座)

出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報

事典・日本の観光資源 「桜川」の解説

桜川

(静岡県三島市)
静岡県のみずべ100選」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

デジタル大辞泉プラス 「桜川」の解説

桜川

栃木県、株式会社辻善兵衛商店の製造する日本酒。全国新酒鑑評会で金賞の受賞歴がある。

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動植物名よみかた辞典 普及版 「桜川」の解説

桜川 (サクラガワ)

植物。フウロソウ科の多年草,園芸植物,薬用植物。ゲンノショウコの別称

出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報

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