梁士詒(読み)りょうしい(英語表記)Liáng Shì yí

改訂新版 世界大百科事典 「梁士詒」の意味・わかりやすい解説

梁士詒 (りょうしい)
Liáng Shì yí
生没年:1869-1933

中国,民国期の政治家。字は翼夫,号は燕孫。広東省三水県の人。清末,袁世凱の引立てで鉄路総局局長,郵伝部大臣代理など交通部門の要職歴任,〈交通系〉の人脈を築いた。民国成立後も総統府秘書長,交通銀行総理などを歴任,袁世凱の独裁を財政面で支え〈財神〉と称された。1916年袁世凱の死後,一時日本に亡命したが,18年帰国,〈交通系〉を再建した。21年末には張作霖後押しで内閣総理に就任したが,わずか1ヵ月で失脚,22年の奉直戦争で再び亡命した。25年交通銀行総理に復帰,27年政治討論会会長に任命された。28年以降は香港に隠棲した。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の梁士詒の言及

【袁世凱】より

…李鴻章没後,袁世凱はその後継者として直隷総督兼北洋大臣となり,さらに政界の各方面に勢力を扶植した。趙秉釣(ちようへいきん)に警察,梁士詒(りようしい)に鉄道・銀行,楊士琦に汽船・電報,周学熙に炭鉱をやらせる,といったぐあいである。もちろん,満州貴族にもぬけめなく取りいったのであって,戊戌(ぼじゆつ)政変のさいには維新派を裏切って最高権力者西太后の寵を得た。…

【帝政問題】より

… 8月3日,アメリカ人顧問グッドノーが,中国には君主立憲政体が適するという趣旨の論文を発表すると,同月14日,袁世凱の意をうけた楊度らが籌安会(ちゆうあんかい)を発起して,帝政運動への口火を切った。さらに袁世凱の股肱梁士詒(りようしい)が請願団運動を組織するに及んで,事態は急進展をとげ,9月末には,国体問題〈解決〉のための国民代表大会開催が決定的となった。ところが,第1次大戦によるアジアの空隙を最大限に利用して,その勢力を伸張しようとする日本の外務省が,この問題への干渉を決意し,イギリス,ロシアもこれに従って,翌月,3国による帝政延期勧告がなされた。…

※「梁士詒」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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