朝日日本歴史人物事典 「梅ケ谷藤太郎(2代)」の解説
梅ケ谷藤太郎(2代)
生年:明治11.3.11(1878)
明治大正期の力士。20代横綱。石川県新川郡(富山市)水橋村生まれ。本名押田(のち小江)音次郎。明治36(1903)年5月,東西の大関で全勝同士で常陸山谷右衛門と対戦,敗れたものの場所後常陸山と同時に横綱に昇進した。その後も両雄の対決は満都の人気を博し,梅・常陸時代といわれる大相撲黄金期を現出した。12歳で上京して雷の門に入り梅ノ谷を名乗る。怪童として早くから注目され,31年入幕,33年大関,35年師匠で養父の初代梅ケ谷の四股名を襲い,翌年には史上最年少(当時)の満25歳で横綱。大正4(1915)年6月場所後に引退,年寄雷を継ぎ取締にあげられた。168cm,160kg。まれに見る相撲巧者で取り口は堅実細心,腹やぐらに乗せての吊りを得意とした。土俵入りも華麗で天下一品と称えられた。<参考文献>彦山光三『横綱伝』
(水野尚文)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報