朝日日本歴史人物事典 「梅屋庄吉」の解説
梅屋庄吉
生年:明治1(1868)
明治大正期の映画企業家。長崎生まれ。若いころ香港で写真館を経営,のちシンガポールでフランスのパテー会社のフィルムを購入して帰国。のち映画会社Mパテー商会を設立,明治39(1906)年より映画興行や製作に乗り出す。白瀬中尉の南極探検(1910)には撮影班を派遣し,貴重な記録映画を製作した。当時は日本映画の揺籃期で吉沢商店,横田商会,福宝堂などが製作興行を行っていたが,明治末期の不況から梅屋は3社を説きMパテーと合同,大正1(1912)年日本活動写真株式会社(日活)の創立に成功した。以後映画界から遠のくが,草創期の映画事業家横田永之助,河浦謙一らと共に忘れられぬ存在である。<参考文献>田中純一郎『日本映画発達史Ⅰ』
(長崎一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報