梅暮里谷峨(読み)うめぼりこくが

精選版 日本国語大辞典 「梅暮里谷峨」の意味・読み・例文・類語

うめぼり‐こくが【梅暮里谷峨】

江戸中期の洒落本作者。通称、反町三郎助。上総国久留里藩士で本所埋堀に住んだ。主情的作風の洒落本を著し、人情本基礎を築く。主著、洒落本「傾城買二筋道」「廓(さと)の癖」。寛延三~文政四年(一七五〇‐一八二一

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デジタル大辞泉 「梅暮里谷峨」の意味・読み・例文・類語

うめぼり‐こくが【梅暮里谷峨】

[1750~1821]江戸後期の洒落本作者。上総かずさ久留里藩士。通称、反町三郎助。作「傾城二筋道」「さとの癖」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「梅暮里谷峨」の意味・わかりやすい解説

梅暮里谷峨 (うめぼりこくが)
生没年:1750-1821(寛延3-文政4)

江戸後期の洒落本作者。谷我とも書く。本名は反町(そりまち)三郎助,通称与左衛門。上総国久留里黒田藩士で,江戸本所埋堀(うめぼり)に居住したのでこの筆名がある。梅月堂梶人(かじんど)の名で洒落本《青楼五雁金(せいろういつつかりがね)》(1788)と続編《染抜五所紋(そめぬきいつところもん)》(1790)があり,1790年(寛政2)の《文選臥坐(もんぜんござ)》中の〈河東の艶詞〉に初めて梅暮里谷我の名を用いた。遊客遊女の愛情による筋の変化を求める作風を示したが,98年の《傾城買二筋道(けいせいかいふたすじみち)》が好評を博し,田螺(たにし)金魚の作風を追う感傷的な人情描写の作風を確立し,二編《廓(さと)の癖》(1799),三編《宵の程》(1800)と続編を伴って男女の真情を描く新傾向を招来した。以後《契情買言告鳥(けいせいかいいいつげどり)》(1800),《甲子夜話(きのえねやわ)》(1801)など後編続編を持つ作品が多く,後の人情本の基礎を作った。幕末の戯作者萩原乙彦(おとひこ)が2世谷峨を継いだ。
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朝日日本歴史人物事典 「梅暮里谷峨」の解説

梅暮里谷峨

没年:文政4.9.3(1821.9.28)
生年:寛延3(1750)
江戸中期の戯作者。反町三郎助と称する上総国(千葉県)久留里藩士だが,江戸本所埋堀の藩邸に住んだので,梅暮里と号した。初め梅月堂梶人,のちには蕣亭とも号している。天明8(1788)年刊の洒落本『青楼五ツ雁金』を処女作とするが,当時はちょうど寛政の改革のころで,洒落本の著作などを遠慮する世情となり,それがようやく落ち着いた寛政10(1798)年,『傾城買二筋道』を刊行して,一躍,後期洒落本界の寵児となる。その後『二筋道』の2編,3編を続刊し,主知的な戯作であった盛期の洒落本の内容を一変して,主情的,伝奇的な内容へと導き,やがて人情本を生み出すその下地を作った。また文化末年(1818年ごろ)から文政(1818~30)にかけては読本の作にも手を染めたが,こちらの方はあまり得意とするところではなかったようである。滝沢馬琴は,例によって「戯作の才はありながら,文字は素よりなき人なるべし」(『江戸作者部類』)と悪口をいうが,『二筋道』の内容は,安永7(1778)年,田螺金魚作の『契情買虎之巻』の伝奇的内容と,盛時の洒落本の細密な描写や滑稽性とを上手に一編のなかに盛り込んで,洒落本の質的変化を無理なくもたらしたあたり,確かにその才の並々ならぬものを示している。のちに江戸旗本の次男坊であった萩原乙彦(歌沢能六斎)が,その2代目を名乗るが,こちらも,幕末明治まで,一流の戯作者として活躍した。

(中野三敏)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「梅暮里谷峨」の意味・わかりやすい解説

梅暮里谷峨
うめぼりこくが
(1750―1821)

江戸後期の戯作者(げさくしゃ)。通称反町(そりまち)三郎助、のち与左衛門。上総(かずさ)(千葉県)久留里(くるり)藩の江戸詰め藩士で、本所埋堀(うめぼり)の藩邸に住んだ。晩年に読本(よみほん)、人情本の作もあるが、本領は洒落本(しゃれぼん)にある。代表作は1798年(寛政10)刊『傾城買二筋道(けいせいかいふたすじみち)』と翌年の後編『郭の癖(くるわのくせ)』、翌々年の三編『宵の程(よいのほど)』である。それまでの洒落本と違って、客と遊女の恋の真情を描き、以後の洒落本の作風を決定し洒落本が人情本へ移る契機をつくった。寛政(かんせい)の改革以降の、末期洒落本の作風を代表する作者である。

[神保五彌]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「梅暮里谷峨」の意味・わかりやすい解説

梅暮里谷峨
うめぼりこくが

[生]寛延3(1750)
[没]文政4(1821).9.3. 江戸
江戸時代後期の洒落本作者。本名,反町三郎助,のちに与左衛門。上総久留里藩士。主著『傾城買 (けいせいかい) 二筋道』 (1798) ,『白狐通』 (1800) 。

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世界大百科事典(旧版)内の梅暮里谷峨の言及

【傾城買二筋道】より

…1冊。梅暮里谷峨(うめぼりこくが)作。1798年(寛政10)刊。…

※「梅暮里谷峨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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