棚橋源太郎(読み)たなはしげんたろう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「棚橋源太郎」の意味・わかりやすい解説

棚橋源太郎
たなはしげんたろう

[生]明治2(1869).岐阜
[没]1961. 東京
明治後期から大正期の理科教育の指導者。東京高等師範学校卒業後,各県の師範学校教諭,東京高師付属小学校訓導などを経て,1906年同校教授となり,一貫して理科教育の振興にあたった。 10年にはドイツ,アメリカに留学,その成果は『新理科教授法』 (1913) として公刊された。このなかで提唱した実験室教授法は理科教育の革新に画期的役割を果した。博物館の充実,普及面での貢献も大きい。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「棚橋源太郎」の解説

棚橋源太郎 たなはし-げんたろう

1869-1961 明治-昭和時代の理科教育指導者。
明治2年6月8日生まれ。東京高師付属小学校の理科主任として,実物を観察し,実験し,実地におこなうという直観教授法による理科・郷土科教育を実践。のち東京高師教授,東京博物館(現国立科学博物館)初代館長。昭和36年4月3日死去。91歳。美濃(みの)(岐阜県)出身。東京高師卒。著作に「理科教授法」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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