精選版 日本国語大辞典 「棚」の意味・読み・例文・類語
たな【棚】
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横に平らに渡した板で、物をのせるもの。「たな」は大和(やまと)ことばで、「たな」の「た」は手の古形、「な」は連体助詞であり、「たなびく」とか「たな雲」と同根の、水平の状態を表す。棚には建物に造り付けのものと独立した置き棚とがあり、それぞれに実用本位のものと装飾的なものとがある。造り付け棚には吊(つり)棚と仕込み棚と戸棚、および違い棚がある。吊棚は高棚ともいい、古くからあり、平安時代の『類聚雑要抄(るいじゅうぞうようしょう)』にも出ている。何段かの棚を造り付けにした仕込み棚も鎌倉時代には使われている。これに引違い戸をつけたのが戸棚で、これは江戸時代に多くなる。いずれも実用的なもので、台所で食器や食品を入れる膳棚(ぜんだな)として、あるいは部屋で雑多な物を入れる部屋戸棚として用いられる。違い棚は床の間や書院の脇(わき)に設けられる飾り棚で、座敷の室内装飾として重要なものであるため、柱や棚板などは銘木を使って美しくつくられる。修学院(しゅがくいん)離宮の霞棚(かすみだな)、桂(かつら)離宮の桂棚、三宝院の醍醐(だいご)棚は天下の三棚といわれて有名である。置き棚も古くからあり、正倉院には奈良時代の棚が2基残っている。1基は間口約180センチメートル、高さ150センチメートルで、両側に側板を立て、3段の棚板を渡してあり、1基は間口約260センチメートル、高さ140センチメートルで、4柱のほか中央の前後にも柱を立て3段の棚板を渡してある。どちらも素木(しらき)造りで実用本位の、棚の基本形のようなものであるが、この型の棚はその後も台所用の膳棚、部屋棚、また倉棚として基本的にはそのままの形で中世、近世、近代へと引き継がれているが、近世になるとこれに引違い戸がつく戸棚となる。さらに引出しなどもつけられ、より便利なものとなって現代に及んでいる。
一方、装飾的な置き棚は奈良時代に大陸から渡来した厨子(ずし)を原型とする。厨子は両開き扉の中に棚がつくもので、銘木などを使い、飾り金具をつけた美しい造りで、文房具や書物などを入れて室内装飾として用いられた。平安時代になると、これに棚を加えた厨子棚が創案されるが、これが日本の貴族調度の典型とされ、以後の装置的置き棚はすべてなんらかの形で厨子棚の影響を受けることとなった。厨子棚には上が棚で下が厨子の二階厨子と、棚だけの二階棚、三階棚がある。二階厨子のほうが格が高く、寝殿造では母屋(もや)に置かれ、二階棚、三階棚は庇(ひさし)に置かれた。いずれも蒔絵(まきえ)や螺鈿(らでん)などの華麗な造りで、手箱や香壺(こうつぼ)箱などを飾り、かならず2基並べて据えられた。これを武家が受け継ぎ、江戸時代に整備されたのが大名の調度の厨子棚、黒棚、書棚の三棚であるが、中に収める物を含め、すべてが統一された意匠のもとに豪華な高蒔絵などでつくられた。そのほか、茶人らが創案した棚もある。これは素木造りとか竹やよしずなどを使った簡素なものである。これらを混合したのが現在でも使われている座敷用の飾り棚で、これは近世以降に一般民衆も棚を飾るようになって生まれたものである。
[小泉和子]
物を置くための棚には置棚と作り付け棚とがある。古代の棚は《古事記》や《令義解》《延喜式》などに棚案(たなつくえ),高棚,倉棚などが記される。棚案は長さ3尺,広さ1尺3寸,高さ2尺5寸ほどの机形の棚,高棚は釣棚,倉棚は倉庫の中に設けられる棚である。この系統の実用的な棚としては奈良時代のものが正倉院に2基残っており,かなり大型で塗装もなく,いたって簡素なつくりである。こうした実用本位の棚はそのまま台所用や雑物棚として中世から近世,近代へとほとんど変わらずにつづいていくが,近世になるとこれに遣戸(やりど)(引違い戸)がついて戸棚になる。また奈良~平安時代にかけて装飾的な置棚が使われだした。最初は大陸からもたらされた厨子(ずし)が貴族の調度として使われていたが,これは日本人にはなじまず,平安時代になると厨子と棚とをいっしょにした厨子棚が工夫された。これには棚だけの二階棚,三階棚もあり,蒔絵(まきえ)などで美しく装飾され,寝殿造建築における貴族調度の典型となった。この系統の棚も中世,近世に室内装飾の中心として受けつがれ,近世の三棚や冠棚となる。三棚は大名家の嫁入調度で,厨子棚,黒棚,書棚から成る。厨子棚には化粧道具,香道具,文房具が納められ,黒棚には歯黒道具,書棚は別の部屋に飾られるが,書籍,文房具を納めた。三棚では幸阿弥長重作《初音蒔絵三棚》(徳川黎明会)が有名である。冠棚は冠を置く棚であるが,後に香炉台にも用いられた。さらに茶の湯の隆盛にともなって,茶道具を置く棚も各種のものがつくられた。
置棚とは別に,書院造建築には作り付けの棚がつくられた。この棚の大きさは間口が間半,1間のものが多く,構成は棚板だけのもの,袋棚や厨子棚を組み合わせたものなど種々ある。違棚は複数の棚板を左右から上と下にくい違いに釣った棚で,香炉,食籠,花瓶,茶器などを飾る。袋棚は床の間や棚の上方または下方に設けられる小戸棚で,引違いの戸襖が付く。上方を天袋(てんぶくろ)といい,下方を地袋というが,違棚や袋棚は床の間,付書院とならんで和風住宅の室内装飾として最も重要なものとなった。違棚では修学院離宮の霞棚,桂離宮の桂棚,三宝院の醍醐棚が名高く〈天下の三棚〉と呼ばれる。
このほか特殊な棚に,宗教用の閼伽棚(あかだな)がある。閼伽とは仏に供える水で,これを入れた桶を置くためのものであり,仏間近くの縁ぎわに設け,棚は簀の子になっている。仏教が人々の生活に浸透していった平安後期ころから,僧房や貴族邸に設けられるようになったが,後には寺院だけになった。
執筆者:小泉 和子
〈みせだな〉の略で商品を陳列してならべた台,さらに転じて陳列した店(みせ)をいう。すでに《宇津保物語》に,〈空車(むなぐるま)に魚・塩積みてもてきたり,預どもよみとりて,たなに据ゑて売る〉とあり,また四天王寺の扇面古写経では,店頭に棚をおき,柿を置いて売っている。以上のように平安期に商品を売る棚として見られるが,鎌倉期には,これが座の営業権として使われるようになった。京都の四条町には,切革座の棚があり,その家屋とともに座権利が売買されている。室町・戦国期にも,狂言《鍋八撥》に新市の〈一の店(たな)に着いた者を末代まで仰せ付けらりょう〉とあるように,店には市座の営業権が付随していた場合が多い。
→店(みせ)
執筆者:脇田 晴子 室町末期から江戸初期になると,家屋の街路に面した〈みせ〉部分そのものを開放して,客を中に入れる店舗形態が主流となり,《洛中洛外図》には店内の畳の上に商品を並べているようすがみられる。こうして,江戸時代に入ると〈たな〉は表通りに店舗を出す商店の意味でも使われるようになった。出入りの商人・職人が〈おたな〉と呼ぶのはこれである。またさらに〈たな〉は商売とは直接関係のない,たんなる住居そのものをも意味するようになる。表通りには面さない裏側に地主が建てた借家を裏店(うらだな)といい,これには零細なものが多かった。この場合借家人が店借(たながり),店子(たなこ)であり,店借の払う家賃が店賃(たなちん),店借の身元保証人が店請人(たなうけにん)である。この店借は家屋敷を所有する町人に対して,町人としての身分を持たない身分呼称でもあった。
執筆者:玉井 哲雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 ダイビング情報ポータルサイト『ダイブネット』ダイビング用語集について 情報
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