森川源三郎(読み)もりかわ・げんざぶろう

朝日日本歴史人物事典 「森川源三郎」の解説

森川源三郎

没年:大正15.6.7(1926)
生年弘化2.2.15(1845.3.22)
明治大正期の篤農家出羽河辺郡新屋村(秋田市)に秋田藩取立士族森川又五郎の長男として生まれ,維新後農業に従事する。明治11(1878)年秋田県勧業掛となり農事改良に尽力,14年には全国農談会に県代表として参加した。このころから石川理紀之助親交を深め,ともに農事改良,農民指導に励む。27年大日本農会幹事長前田正名の依頼を受け石川らと農事奨励のため九州を巡回,帰国後農会組織に奔走し,のち河辺郡農会長,秋田県農会長を務めた。35年再び前田の要請により九州に赴き開拓農民の指導に当たる。晩年は河辺郡上北手村(秋田市)に山荘かまえ,植林に打ち込んだ。<参考文献>秋田県編『秋田の先覚』2巻

(田口勝一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「森川源三郎」の解説

森川源三郎 もりかわ-げんざぶろう

1845-1926 明治-大正時代の農業指導者。
弘化(こうか)2年2月15日生まれ。出羽(でわ)河辺郡(秋田県)新屋村の人。戸長,県勧業掛をつとめ,農事改良に尽力。石川理紀之助(りきのすけ)と農会の組織づくりをすすめ,明治32年県農会会長となる。晩年は上北手の山地に庵をむすび,杉の植林をつづけた。大正15年6月7日死去。82歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android