棲霞寺(読み)セイカジ(英語表記)Qī xiá sì

デジタル大辞泉 「棲霞寺」の意味・読み・例文・類語

せいか‐じ【棲霞寺】

中国南京ナンキン北東の摂山にある古刹こさつ南北朝時代南斉の明僧紹の創建大理石の大舎利塔は南唐のもの。寺の後方の千仏嶺には、南斉・りょう時代以来の仏龕ぶつがん多数ある。

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精選版 日本国語大辞典 「棲霞寺」の意味・読み・例文・類語

せいか‐じ【棲霞寺】

京都市右京区嵯峨にある清凉寺塔頭(たっちゅう)古名。清凉寺の前身で、嵯峨天皇の皇子源融(みなもとのとおる)が設けた山荘棲霞観を、のち寺に改めたのに始まる。現在は阿彌陀堂として残る。栖霞寺。

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改訂新版 世界大百科事典 「棲霞寺」の意味・わかりやすい解説

棲霞寺 (せいかじ)
Qī xiá sì

中国,南京市の北東郊外17km,棲霞山,一名は摂山(しようざん)の麓に位置する。栖霞寺ともかく。済南の霊巌寺,天台の国清寺,荆州の玉泉寺とともに中国四大名刹の一つ。5世紀六朝の南斉時代の創建。つづく6世紀梁代に僧朗が住して以後,〈三論(中論,十二門論,百論)〉の学問の中心となり,〈三論宗〉を確立した隋の吉蔵(きちぞう)は僧朗3代の弟子である。また陳代には,江南でははじめて達磨の禅法がここに伝えられた。現在,石窟型式の千仏巌,仏伝にもとづいて釈迦の一生を示す八相図を彫刻した五重の石造舎利塔が存在する。千仏巌は斉・梁時代にさかのぼり,舎利塔は隋代に建てられたものの五代南唐時代の重建である。ともに仏教芸術として重要な意義をもつ。また門前の碑亭には,唐の上元3年(676)に建てられた唐の高宗撰《明徴君碑》が収められ,棲霞寺創建の由来を知ることができる。
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百科事典マイペディア 「棲霞寺」の意味・わかりやすい解説

棲霞寺【せいかじ】

(1)中国,江蘇(こうそ)省ナンキンの北東,摂山(しょうざん)にある古寺。栖霞寺とも記す。《高僧伝》によれば南斉の高士明僧紹が草庵を結び,法度を迎えて寺としたのが最初といわれる。唐以後寺名はたびたび改称されたが,1392年棲霞寺に復した。基壇釈迦八相図浮彫のある八角五重の石塔(隋代)がある。(2)清凉(せいりょう)寺の別名。

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