植田謙吉(読み)うえだ けんきち

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「植田謙吉」の解説

植田謙吉 うえだ-けんきち

1875-1962 明治-昭和時代前期の軍人
明治8年3月8日生まれ。昭和7年上海事変に第九師団長として出動。同年天長節祝賀会場で朝鮮の独立運動家尹奉吉(ユン-ポンギル)がなげた爆弾により片足をうしなう。9年陸軍大将。11年関東軍司令官。14年ノモンハン事件の敗戦責任予備役となった。昭和37年9月11日死去。87歳。大阪出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の植田謙吉の言及

【上海事変】より

…海軍は第3艦隊(司令長官野村吉三郎中将)の兵力を増強したが,苦戦に陥り,陸軍派兵を要請し,犬養毅内閣は2月2日第9師団,混成第24旅団の派遣を決定した。18日植田謙吉第9師団長は中国軍に租界から20km以遠への撤退を要求し,20日総攻撃を開始したが,空閑(くが)昇大隊長が捕虜となり,〈肉弾三勇士〉の犠牲を払うなど,中国軍の強力な抵抗に直面し,人員・弾薬の不足をきたした。軍中央は24日第11・第14師団などからなる上海派遣軍(軍司令官白川義則大将)を編制し,3月1日第11師団が中国軍の背後に上陸,第9師団も総攻撃をかけ,ようやく中国軍を退却させ,3日一方的に戦闘中止を声明した。…

【ノモンハン事件】より

…その結果9月15日モロトフ外相と東郷茂徳大使の間に停戦協定が成立した。敗戦の責任で関東軍の植田謙吉司令官,磯谷廉介(いそがいれんすけ)参謀長が予備役に編入され,また参加部隊では責任をとって自決する部隊長があいついだ。事件の敗北は陸軍の対ソ戦略に重大な打撃をあたえ,対ソ開戦の企図を挫折にみちびいた。…

※「植田謙吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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