朝日日本歴史人物事典 「楠本正隆」の解説
楠本正隆
生年:天保9.3(1838)
明治時代の政治家。肥前大村藩(長崎県)藩士。号は西洲。幕末期,藩の中老として藩政の中枢にあって,藩論をまとめつつ薩長両藩に接近をはかった。王政復古後,新政府の徴士,長崎裁判所判事となる。明治3年,外務権大丞となったが,5年新潟県令に就任。3年間の在任中,区中会議や区会さらに県会を設置して府県会の先駆けをなしたり,銀行を開設したり信濃川の水運事業をおこすなど大いに実績を挙げた。8年,東京府権知事,10年同知事に就任し,道路・橋梁の整備,府税改革,市区改正事業などで功績を残した。12年,元老院議官。22年東京市会議員。23年衆院議員に当選。26年衆院副議長,さらに同年議長となった。衆議院では,当初無所属であったが,第9議会より進歩党に属した。29年男爵となり,議員を辞した。
(西尾林太郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報