デジタル大辞泉
「楽人」の意味・読み・例文・類語
がく‐にん【楽人】
雅楽を演奏する人。また、その家柄。特に平安中期以後、楽所別当の下にいて、五位・六位に叙されていた家柄。伶人。がくじん。
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がく‐にん【楽人】
〘名〙
① 平安以後、
雅楽寮(うたりょう)や諸所の楽所
(がくしょ)に付属して楽事を教習し伝承した人。また、その家柄。
朝廷では、
楽所別当の下にいて、近衛将曹あるいは
将監に任ぜられ、位階は五位、六位に叙された。楽家。
伶人(れいじん)。
楽師。楽士。がくじん。
※貞信公記‐抄・天暦二年(948)三月三〇日「雅楽寮楽人召
二御前
一令
レ奏
二種々
音楽一者」
※宇津保(970‐999頃)楼上下「がくにん召して、西ひんがしにて遊せさせん、とおぼして」 〔
礼記‐少儀〕
② 催しの際などに、音楽を演奏する
役割の人。がくじん。
※
源氏(1001‐14頃)末摘花「朱雀院の
行幸、今日なむがく人舞人定めらるべきよしよべ承りしを」
※羅葡日辞書(1595)「Pulpitum〈略〉ブタイニ ヲイテ gacuninno
(ガクニンノ) イル タカキ トコロ」
[語誌](①について) 中世以降になると朝廷の楽所も形式化し、相続く戦乱によって楽家の継承も困難となり、各地の
寺社に属して活動するようになった。
京都に多
(おおの)、
豊原、安倍、
大神(おおみわ)、藤原、
尾張の六姓の楽家があって、朝廷の楽事をつかさどったが、尾張氏は早く
断絶。
奈良には狛
(こま)姓の楽家があって
春日神社に奉仕し、
摂津の
天王寺には秦
(はた)姓の楽家があった。この京都、奈良、天王寺の楽家を
三方の楽所(楽人)といった。
その他の諸寺院にもあり、
江戸時代の楽家数はおよそ五〇家。
がく‐じん【楽人】
〘名〙 音楽を演奏する役割の人。音楽を業とする者。がくにん。
※青春(1905‐06)〈
小栗風葉〉春「楽人
(ガクジン)の手に上って見ない事には、成功するか為ないか、我々素人には到底
(とて)も曲譜丈では分りませんが」 〔礼記‐少儀〕
らく‐じん【楽人】
〘名〙 生活の苦労のない人。気楽にくらす人。また、金持。
※浮世草子・新可笑記(1688)四「二男はかねて病者といへば向後楽人(ラクじん)となるべし」
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
楽人
がくにん
雅楽演奏家。宮廷や寺社で専門に雅楽を演奏する者。後陽成天皇以降,大内楽所で仕えた宮廷の楽人,天王寺楽所に所属した大坂四天王寺の楽人,南都楽所の興福時の楽人の3つをあわせて,京都・天王寺・奈良方の3系統の楽人から成る「三方楽所」ができた。今日では宮内庁楽部の楽人までつながっている。 (→三方楽人 )
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
普及版 字通
「楽人」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報