槍ヶ岳(読み)ヤリガタケ

デジタル大辞泉 「槍ヶ岳」の意味・読み・例文・類語

やり‐が‐たけ【槍ヶ岳】

長野・岐阜県境、飛騨山脈中部にある山。穂高岳の北にあり、標高3180メートル。山頂は三角の岩峰をなし、槍の穂先に似る。

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改訂新版 世界大百科事典 「槍ヶ岳」の意味・わかりやすい解説

槍ヶ岳 (やりがたけ)

飛驒山脈南部,長野県松本市,大町市,岐阜県高山市の境界に位置する山。標高3180mは日本第4位の高さである。山頂付近は槍の穂先のように鋭い尖峰を呈し大槍と呼ばれ,その北西斜面には小槍(こやり),孫槍(まごやり),曾孫槍(ひまごやり)などの尖峰が付随する。山頂からは東鎌尾根,西鎌尾根,槍・穂高稜線,北鎌尾根のやせ尾根が東西南北の各方面にのび,南東側に信濃川水系の梓川槍沢,北東側に高瀬川天上沢,北西側に千丈沢,南西側に神通川水系の蒲田(がまだ)川右俣谷飛驒沢などの谷がある。山体は中生代白亜紀の石英斑岩,凝灰角レキ岩,ヒン岩などから構成されるが,南側には古生代の結晶片岩が一部に分布している。槍ヶ岳を取り囲む上記四つの谷は,いずれも氷期の氷河の浸食を受け,頂上部は四方からの氷食作用によって形成されたホルン(尖峰)で,硬い岩質のため現在までその形を残している。氷期の谷氷河は,いずれの沢も標高約1800mの地点まで流下していたと推定され,特に飛驒沢や槍沢では谷頭部にカールが,その下流側にはU字谷が発達する。南東約2kmの天狗原は〈氷河公園〉と呼ばれ,天狗池の凹地やモレーン堆石堤)など多くの氷河地形遺物がみられる。夏でも谷頭部には雪渓が残り,森林限界を越える標高約2500m以上の斜面には,チングルマシナノキンバイなどの高山植物のお花畑が多い。

 笠ヶ岳開山を果たした際,槍ヶ岳の姿に魅了された播隆(ばんりゆう)は,1826年(文政9)中田又重郎らの協力を得て信州側から槍の肩まで試登した後,28年に登頂し,仏像3体を収め開山した。播隆はその後数回登頂し,頂上付近に鉄鎖をつけたものの,以降信仰登山が栄えた記録はない。近代登山は1878年のイギリス人鉱山技師W.ゴーランド(日本アルプスの命名者)に始まる。その後92年にイギリス人宣教師W.ウェストン,1902年に日本山岳会の小島烏水岡野金次郎が,それぞれ登頂している。その他,1885年に地質学者坂市太郎が槍沢から薬師岳方面へ縦走し,1902年には三角測量も行われ,22年,槙有恒が冬季初登頂に成功した。登山路は上高地から槍沢経由,新穂高温泉から右俣谷飛驒沢経由が一般的で,両方とも約9時間のコースである。また東鎌尾根から燕(つばくろ)岳に至る表銀座縦走路,西鎌尾根から烏帽子岳に至る裏銀座縦走路,穂高岳へ至る縦走路などの起点となっており,山頂付近には槍ヶ岳山荘,殺生ヒュッテ,ヒュッテ大槍の設備のよい三つの山小屋がある。
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日本歴史地名大系 「槍ヶ岳」の解説

槍ヶ岳
やりがたけ

標高三一八〇メートルの北アルプス第二の高峰で、その峰が槍の穂先のようにとがっていることから命名された。長野県側からは常念じようねん岳・つばくろ岳などの北アルプスの前山や美ヶ原うつくしがはらなどに登らないと見えないが、飛騨側からは高原川の上流地域から望むことができる。人跡未踏の地域であったとみえて正保年間(一六四四―四八)の国絵図や享保九年(一七二四)の「信府統記」にはこの山の記載がない。

槍ヶ岳に初めて登山したのは越中国出身の一向専修念仏行者播隆であった。播隆は天明二年(一七八二)に生れ、大和国の晃仏上人に師事し、諸国を遍歴して美濃国大野郡揖斐いび町に草庵を結び、ここを定住の地とした。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「槍ヶ岳」の意味・わかりやすい解説

槍ヶ岳
やりがたけ

長野・岐阜県境にそびえる日本アルプスの主峰の一つ。穂高岳とともに北アルプスを代表する山で、中部山岳国立公園の中心をなしている。標高3180メートルは奥穂高岳より10メートル低く北アルプス第2位。山頂が槍の穂先のようにとがっているのでこの山名がついた。遠方から見ても、もっとも識別しやすい特徴をもっている。大槍とよばれる山頂部は8畳ほどの広さしかなく、登山者は下山者を待って順に登頂するほどである。大槍の北にはやや低い尖峰(せんぽう)の小槍があり、ロック・クライミングの対象。山頂部が尖峰をなしているのは角閃(かくせん)石玢(ひん)岩が硬いため侵食されなかったからである。山頂部の北側は北鎌尾根が分ける千丈沢と天上(てんじょう)沢(ともに高瀬川に注ぐ)の谷頭が迫り、南東は梓(あずさ)川、南西は蒲田(がまだ)川の谷で、山全体が三角錐(すい)状になり、山頂周辺には槍沢カールをはじめ、天上沢カール、千丈沢カールなど氷食地形がある。この山に最初に登ったのは越中(えっちゅう)(富山県)の念仏行者播隆(ばんりゅう)で、1828年(文政11)の夏、登頂し、阿弥陀仏(あみだぶつ)などを納めたという。大槍への登頂のため鎖を取り付け、登拝者の便宜をはかった。近代的登山としては「日本アルプス」の名付け親であるイギリス人冶金技術者ガウランドW. Gouland(1842―1922)が1877年(明治10)に登り、日本人登山家では1902年(明治35)に小島烏水(うすい)と岡野金次郎が登ったのが最初である。登山コースは、中房温泉から燕岳(つばくろだけ)、東鎌尾根を経て槍ヶ岳へ登り、横尾から上高地(かみこうち)へ下る表銀座コースも一般的であるが、2泊を要する。なお、北鎌尾根ルートは一般登山道ではないバリエーションルート

[小林寛義]

『山崎安治他著『槍・穂高――近代アルピニズムの黎明』(1963・朋文堂)』


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百科事典マイペディア 「槍ヶ岳」の意味・わかりやすい解説

槍ヶ岳【やりがたけ】

岐阜・長野両県境,飛騨山脈中央南寄りにある山。標高3180m。ヒン岩,結晶片岩からなる。山頂は槍の穂先に似た尖峰をなし,四方に尾根が分岐,南は穂高岳,北西は三俣蓮華岳に至る。槍沢,天上沢,千丈沢,蒲田谷右俣などの氷食谷がある。初めての登山者は越中の一向専修念仏行者の播隆で,1782年とされる。中部山岳国立公園に属し,登山には槍沢,東鎌尾根,西鎌尾根が多く利用される。
→関連項目木暮理太郎燕岳日本百名山飛騨山脈

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「槍ヶ岳」の意味・わかりやすい解説

槍ヶ岳
やりがたけ

長野・岐阜県境,飛騨山脈のほぼ中央部にある山。標高 3180m。山体は石英斑岩から成り,カール地形に囲まれ,山頂が槍の先のように直立していることが呼称の由来である。南は穂高岳に続き,北西は三俣蓮華岳方面の「裏銀座縦走路」,北東は大天井岳方面の「表銀座縦走路」と,北アルプス縦走のかなめをなす。南西から蒲田川が源を発して神通川となり,南東の槍沢は梓川に入り,北側から高瀬川が源を発する。中部山岳国立公園に属する。

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事典 日本の地域遺産 「槍ヶ岳」の解説

槍ヶ岳

(長野県松本市;岐阜県高山市)
美しき日本―いちどは訪れたい日本の観光遺産」指定の地域遺産。

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事典・日本の観光資源 「槍ヶ岳」の解説

槍ヶ岳

(長野県・岐阜県)
日本百名山」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の槍ヶ岳の言及

【播隆】より

…江戸後期の山岳行者。槍ヶ岳初登頂者。越中国(富山県)河内村生れ。…

※「槍ヶ岳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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