樋口弥次郎(読み)ひぐち・やじろう

朝日日本歴史人物事典 「樋口弥次郎」の解説

樋口弥次郎

没年:享保12.3.12(1727.5.2)
生年:生年不詳
江戸中期の美作国(岡山県)山中一揆の指導者。真島郡見尾村(勝山町)の長百姓。享保11(1726)年津山藩の年貢増徴策の強行と,村役人の不正に対して,約4000人の農民が蜂起し,村役人宅を打ちこわし,藩に要求書を提出した。弥次郎は,副将格として一揆の指導に当たった。藩は一旦は年貢増徴中止などを受け入れるが,翌年武力弾圧を強行し,多数の農民を処刑した。弥次郎は岩窟に潜んでいるところを発見され,津山城下の西辺の河原磔刑,のち義民として祭られた。供養碑は見尾にあり,「義民樋口弥治郎之碑」と刻まれている。<参考文献>横山十四男『義民(新版)』

(三宅紹宣)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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