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デジタル大辞泉
「橋岡久太郎」の意味・読み・例文・類語
はしおか‐きゅうたろう〔はしをかキウタラウ〕【橋岡久太郎】
[1884~1963]能楽師。シテ方観世流。香川の生まれ。深い芸境に達し、名人とうたわれた。
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橋岡久太郎 (はしおかきゅうたろう)
生没年:1884-1963(明治17-昭和38)
能楽師,観世流シテ方。本名乃村(のむら)久太郎。香川県高松市に生まれ,1899年大阪の観世流名家,橋岡雅雪の芸事後継者となり,1901年上京して23世宗家観世清廉(きよかど)に入門,内弟子となり,08年独立。難声の謡(うたい)ながら独特の研究心と精進により深い芸境を有し,2世梅若実,観世華雪とならんで観世流を代表する名人と称揚された。24世宗家観世左近没後,幼少の25世観世元正(もとまさ)を補佐して一時芸事顧問を務めたこともあり,48年以後,3期にわたり能楽協会理事長の任にあった。63年日本芸術院会員となる。
執筆者:羽田 昶
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橋岡久太郎
はしおかきゅうたろう
(1884―1963)
能の観世(かんぜ)流シテ方。香川県高松に生まれる。吉川孝次郎の次男。幼くして乃村(のむら)家に入り、橋岡忠三郎に望まれて芸系を継ぎ、23歳で観世清廉(きよかど)の内弟子に入る。生涯にわたり能の形式主義、権威主義に対し反骨精神を貫き、脱俗の風で知られ、そのいぶし銀のような内向性の演技の深さ、演出のセンスはずばぬけていた。非常な難声で、舞台の謡が聞こえぬほどであったが、リズム感には独自の主張があった。1963年(昭和38)芸術院会員。後継者に橋岡久馬(きゅうま)、橋岡久共(ひさとも)(慈観(じかん))があり、ともに独歩の芸風をもつ。
[増田正造]
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橋岡久太郎 はしおか-きゅうたろう
1884-1963 明治-昭和時代の能楽師シテ方。
明治17年7月12日生まれ。31年大阪の観世流シテ方橋岡雅雪の芸の後継者となる。のち上京し23代宗家観世清廉(きよかど)にまなぶ。独立後,精進し2代梅若実,観世華雪とともに観世流の発展につくした。昭和36年芸術院賞。芸術院会員。昭和38年9月15日死去。79歳。香川県出身。旧姓は乃村。
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橋岡久太郎【はしおかきゅうたろう】
能楽師。観世流シテ方。23世宗家観世清廉(きよかど)に師事し,脱俗的な独自の芸境に至った。1963年芸術院会員。橋岡久馬〔1923-2004〕はその長男。
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