檜隈寺跡(読み)ひのくまでらあと

日本歴史地名大系 「檜隈寺跡」の解説

檜隈寺跡
ひのくまでらあと

[現在地名]明日香村大字檜前

於美阿志おみあし神社の境内に寺跡があり、礎石および十三重塔一基が残る。十三重塔は現在一一重しかないが、於美阿志神社石塔婆として国指定重要文化財となっている。→於美阿志神社

日本書紀」朱鳥元年(六八六)八月条に「檜隈寺、軽寺、大窪寺、各封百戸、限卅年」とみえ、白鳳期の古瓦が出土する。鎌倉時代の成立とみられる「清水寺縁起」に坂上氏の知行の寺々の一つとして、「道興寺 字□□(檜前カ)(中略)、右大和国高市郡檜前郷、件所者、先祖阿智王入朝時恩給地也、仍建立寺」とあり、道興どうこう寺と称したらしい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「檜隈寺跡」の解説

ひのくまでらあと【檜隈寺跡】


奈良県高市郡明日香村檜前にある渡来系の東漢氏(やまとのあやうじ)の氏寺とされる古代寺院跡。現在は、寺院跡に於美阿志(おみあし)神社が建っている。発掘調査の結果、特異な伽藍(がらん)配置をとり、講堂が飛鳥地域で唯一の瓦積み基壇を有するなど、特色ある飛鳥・白鳳(はくほう)寺院であることが判明。1997年(平成9)には7世紀前半~中ごろの石組みの竈(かまど)を備えつけた竪穴(たてあな)住居跡が発見された。竈は排気用の煙突「煙道」がL字形をした渡来系特有の構造で、後の檜隈寺につながる仏堂のような建物が造られたころのものとみられる。檜隈寺の北西約25mで見つかった竪穴住居跡は、長辺4.8m、短辺3.5mの長方形。南西隅の壁際に人頭大の石を積み重ねて竈を設けていた。竈の上部は崩れていたが、本来は粘土で覆われていたとみられる。煙道は焚き口から延びて壁で直角に曲がり、長さ2.1m。竈の傍には壁を掘り込んで棚を作っていた。周辺でほかに住居跡が見つからないことから、一般の集落ではなく、寺にかかわる特殊な建物と判断されている。2003年(平成15)に国の史跡に指定された。『日本書紀』などによると、檜隈寺は7世紀後半から金堂や講堂を整備し、本格的な寺院になったとされる。近畿日本鉄道吉野線飛鳥駅から徒歩約20分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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