歌沢寅右衛門(読み)うたざわとらえもん

精選版 日本国語大辞典 「歌沢寅右衛門」の意味・読み・例文・類語

うたざわ‐とらえもん【歌沢寅右衛門】

歌沢寅派の家元名。歌沢笹丸初世と数えるので、二世から始まる。
[一] 二世。歌沢笹丸の知遇を得、家元を譲られた。文化一〇~明治八年(一八一三‐七五
[二] 四世。二世の孫娘本名ゆき。寅派中興の人といわれる。明治五~昭和一八年(一八七二‐一九四三

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「歌沢寅右衛門」の意味・わかりやすい解説

歌沢寅右衛門
うたざわとらえもん

うた沢寅派家元の芸名。歌沢節一流を樹立し、大和大掾(やまとのだいじょう)を名のった歌沢笹丸(ささまる)(1797―1857)を初世とするが、当時遊芸に関する許可などを扱っていた江戸・浅草聖天町の嵯峨(さが)御所出張所より受領後2か月で病没した。

[林喜代弘・守谷幸則]

2世

(1813―75)江戸・横山同朋町の畳屋、平虎(ひらとら)こと平田虎右衛門は師笹丸の没後、笹丸を初世とし、2世寅右衛門を名のる。嵯峨御所から受領した歌沢能登(のと)の名を晩年相模(さがみ)と改名した。

[林喜代弘・守谷幸則]

3世

(1838―1904)2世の娘。本名平田かね、前名美知。2世没後の1881年(明治14)に襲名披露した。

[林喜代弘・守谷幸則]

4世

(1872―1943)3世の娘。本名平田ゆき。1905年(明治38)に襲名、27年(昭和2)相模と改名。

[林喜代弘・守谷幸則]

5世

(1901―83)4世の娘。本名平田秀子。前名寅秀。4世の相模改名と同時に5世を襲名した。

[林喜代弘・守谷幸則]

6世

(1930― )5世の実子。本名平田守。5世没後6世を継承した。青年座俳優として活躍している。

[林喜代弘・守谷幸則]

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改訂新版 世界大百科事典 「歌沢寅右衛門」の意味・わかりやすい解説

歌沢寅右衛門 (うたざわとらえもん)

うた沢寅派の家元名。(1)2世(1813-75・文化10-明治8) 本名,平田虎右衛門。日本橋橘町の畳職で,流行の端唄を美音で歌い,〈平虎(ひらとら)〉と呼ばれる人気者であった。歌沢笹丸(大和大掾(やまとだいじよう)。1797-1857)が1857年(安政4)6月新流〈歌沢節〉の認可を受け家元となった直後に〈平虎〉は寅右衛門と改名。同年7月2代目家元を譲られ,嵯峨御所より〈相模(さがみ)〉の名を受領する。寅右衛門という名では初世になるが,始祖家元は歌沢笹丸であるとの考えから,自分は2世寅右衛門と称した。(2)3世(1838-1904・天保9-明治37) 本名,平田かね。2世の娘。歌沢美知の名で〈うた沢〉創始期から活躍している。一中節,薗八節などの音曲にも精通,唄・三味線ともに名手であった。1881年(明治14)襲名。(3)4世(1872-1943・明治5-昭和18) 本名,平田ゆき。3世の娘。幼いころより常磐津を学び,一中節,河東節,荻江節をも習得。1905年襲名。天性美声と芸才とで,不振の寅派を盛り返し,〈寅派中興の祖〉としてたたえられている。1927年歌沢相模を名乗り,家元を長女の秀子に譲ったが,昭和前期の邦楽界では〈名人相模〉といわれ,その名声は後世まで残った。(4)5世(1901-83・明治34-昭和58) 本名,平田秀子。初名寅秀,若年から母親の相三味線をつとめた。古典の伝承と新曲の開拓に意欲をそそぎ,おっとりとした古典的で渋い芸風は4世芝金(哥沢芝金)と対照をなし,うた沢界の双璧であった。現在,5世の息子である歌沢寅大和(平田守。1930- )が家元後継者となっている。
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