歌沢能六斎(読み)うたざわ・のろくさい

朝日日本歴史人物事典 「歌沢能六斎」の解説

歌沢能六斎

没年:明治19.2.28(1886)
生年:文政9(1826)
幕末戯作者,端唄・都々逸の作者。本名萩原乙彦。幕府小普請役森宗兵衛の次男で,通称は語一郎。戯作名は2代梅暮里谷峨。嘉永6(1853)年以降は端唄・都々逸など流行歌謡の作詞専念。安政4(1857)年,歌沢笹丸の誘いで歌沢連へ加入して能六斎と名乗ったが,数年にして去る。のち,書家萩原秋巌の養子になって乙彦改名。明治初期には俳諧の新聞・雑誌を発行,13年静岡新聞社の社長に迎えられ,社説やコラムに健筆を振るった。女性問題がしばしば世間の話題になったので,江戸時代が生んだ珍無類の人物だと評する人もいる。<参考文献>三田村鳶魚『足の向く儘』

(倉田喜弘)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「歌沢能六斎」の解説

歌沢能六斎 うたざわ-のろくさい

萩原乙彦(はぎわら-おとひこ)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android