正統主義(読み)せいとうしゅぎ(英語表記)Legitimism

精選版 日本国語大辞典 「正統主義」の意味・読み・例文・類語

せいとう‐しゅぎ【正統主義】

〘名〙
① 一八一四年のウィーン会議以後、ヨーロッパを支配した政治理念フランス革命以前の正統王朝の復位旧制度(アンシャン‐レジーム)の復活をめざす反動的な政策勢力均衡策とともにウィーン体制の二大支柱。
フランスで、一八三〇年の七月革命以降、オルレアン派に対してブルボン王朝の復活を計ろうとした立場

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「正統主義」の意味・わかりやすい解説

正統主義
せいとうしゅぎ
Legitimism

1814年、ナポレオン没落に伴う戦後処理問題に関してタレーランらによって唱えられ、メッテルニヒによってウィーン体制の原則として取り入れられた理念。フランス革命とナポレオンの諸事業のみならず、解放戦争の諸成果をも否定してアンシャン・レジーム(旧制度)へ復帰すること、各国主権旧来の主権者の手に戻すことを主張し、その結果フランスとスペインにはブルボン王朝が再建され、ドイツ諸国でも王政復古が行われた。ドイツ連邦成立にみられるように完全な意味での旧制度への復帰は不可能ではあったが、勢力均衡と並んでウィーン体制を支える原理となり、各国で発展した自由主義、ナショナリズム運動抑圧の理念的根拠となった。

[岡崎勝世]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「正統主義」の意味・わかりやすい解説

正統主義【せいとうしゅぎ】

復古主義とも。1814年―1815年のウィーン会議でフランス代表タレーランが主張した理念。フランス革命とナポレオン戦争以前の王位・王国を復活させ,ヨーロッパの国際秩序再建をめざしたもので,ウィーン体制の基調となった。
→関連項目ウィーン会議

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「正統主義」の意味・わかりやすい解説

正統主義
せいとうしゅぎ
legitimism

1814~15年のウィーン会議で採択されたヨーロッパ再建の一原則で,諸国の王侯の家門を,フランス革命とナポレオン戦争以前の状態に復活させようというもの。またフランス政治史上,この会議で復活したブルボン朝が七月革命 (1830) で没落したのち,ブルボン家の直系の子孫がフランス王国の正統かつ合法の王であるとして,その復位を主張した際の政治的立場をいう。この正統王朝派は共和派に反対しただけでなく,オルレアン家を支持するほかの王党派や,ボナパルト系の帝政派にも反対した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「正統主義」の解説

正統主義(せいとうしゅぎ)
legitimism

復古主義ともいう。フランス革命とナポレオン戦争が,ヨーロッパに与えた影響を払拭して,革命以前の正統王朝の復位と,アンシャン・レジームの復活をめざす理念。勢力均衡と並んでウィーン体制の基調をなし,やがて各国の自由主義と国民主義の運動によって破綻した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「正統主義」の解説

正統主義
せいとうしゅぎ
legitimism

1814〜15年のウィーン会議で,フランス代表タレーランが主張した戦後秩序の理念
フランス革命とナポレオン戦争前の主権と領土を正統とし,その回復を主張したもので,ウィーン会議後のヨーロッパの政治体制の基調となった。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android