武田五一(読み)たけだごいち

百科事典マイペディア 「武田五一」の意味・わかりやすい解説

武田五一【たけだごいち】

建築家広島県生れ。東大造家学科卒。1901年―1903年ヨーロッパに留学し,アール・ヌーボーゼツェッシオンなどの世紀末建築を体験。帰国後,京都高等工芸学校図案科教授。日本初のゼツェッシオン建築とされる〈福島邸〉(東京,1905年)などの実作によってヨーロッパの新思潮を紹介。1920年京大建築学科を創設し1930年まで教授を務めたほか,奈良・京都の古社寺の保存修復に携わるなど関西建築界の中心として活躍した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「武田五一」の意味・わかりやすい解説

武田五一
たけだごいち

[生]明治5(1872).12.15. 広島
[没]1938.2.5. 京都
建築家。 1897年東京大学造家学科卒業。東京大学,京都高等工芸学校などにつとめたのち,1920年京都大学建築学科創立とともに同大教授。教育と設計両面で関西建築界を育てた。 1907年の福島行信邸 (東京) で日本最初のウィーン・ゼツェッシオン様式を試み,アール・ヌーボーの造形を紹介,さらには中国風,和風の様式もこなした。建築以外に橋梁記念碑,街路施設,家具,染色などのデザインも行い,大正期の最も多彩な作家の一人。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武田五一」の解説

武田五一 たけだ-ごいち

1872-1938 明治-昭和時代前期の建築家。
明治5年11月15日生まれ。東京帝大助教授,京都高等工芸教授,名古屋高工校長を歴任,大正9年京都帝大建築学科設立とともに教授となる。昭和9年に開始された法隆寺大修理の事務所長をつとめた。昭和13年2月5日死去。67歳。広島県出身。東京帝大卒。

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