武田信時(読み)たけだ・のぶとき

朝日日本歴史人物事典 「武田信時」の解説

武田信時

没年正応2.2.9(1289.3.2)
生年:生年不詳
鎌倉中期の武将。甲斐源氏信政の子。伊予守。安芸国(広島県)守護。文永11(1274)年の蒙古襲来に際し,幕命により安芸国に下り,以後在国して国内武士指揮統率に当たる。<参考文献>佐藤進一『増訂鎌倉幕府守護制度の研究

(三田武繁)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武田信時」の解説

武田信時 たけだ-のぶとき

?-1289 鎌倉時代の武将。
武田信政の子。安芸(あき)(広島県)守護となり,文永11年蒙古襲来の際,安芸の武士の指揮にあたった。正応(しょうおう)2年2月9日死去。通称は五郎次郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の武田信時の言及

【安芸国】より

…旧国名。芸州。現在の広島県西半部。
【古代】
 山陽道に属する上国(《延喜式》)。7世紀中ごろまでこの地域は阿岐国造の勢力下にあったが,律令体制が整備されると安芸国がつくられ,698年(文武2)には安芸国という国名がみえる(《続日本紀》)。国府は,9世紀後期ごろには安芸郡にあったといい,現安芸郡府中町に所在したことがわかるが,律令制当初から安芸郡にあったのか,それとも国分寺・国分尼寺の遺跡がある賀茂郡の西条盆地にあったのかは,結論が出ていない。…

※「武田信時」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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