武田簡吾(読み)たけだ・かんご

朝日日本歴史人物事典 「武田簡吾」の解説

武田簡吾

没年:安政6(1859)
生年:生年不詳
江戸後期の蘭方医,地図訳者。前半生は不詳。沼津藩(沼津市)水野家に仕えた。安政1(1854)年11月4日伊豆下田港来泊中のロシア軍艦ディアナ号が地震津波大破の際,浸水した艦内の海図補修を依頼された沼津藩の命によりこれを訳解した。「英人庸普爾地」(J.ベルチャー)著ゆえ,英文の凡例などを訳すのに蘭学の知識では苦労した。杉田成卿婿養子となった実兄廉卿の縁で叔父に当たる杉田玄端の校閲を受け,安政5年『輿地航海図』として刊行した。当時最新の精詳図(原図は1845年刊)の翻訳なので需要が多く,簡吾はのちに獄死したが,幕末・明治初期に重版や増補版が出ておおいに活用された。当時の日露国境明示でも注目の図であった。<参考文献>斎藤敏夫「日本の近代海図を育成した忘れられぬ人々について」(『地図』25巻4号)

(石山洋)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武田簡吾」の解説

武田簡吾 たけだ-かんご

?-? 江戸時代後期の医師
駿河(するが)(静岡県)沼津の人。嘉永(かえい)7年(1854)11月4日伊豆(いず)下田で津波によって大破したロシア使節プチャーチンの乗船ディアナ号にあったイギリス製の世界地図を模刻翻訳し,安政5年「輿地(よち)航海図」として刊行した。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android