武藤清(読み)ムトウキヨシ

デジタル大辞泉 「武藤清」の意味・読み・例文・類語

むとう‐きよし【武藤清】

[1903~1989]建築学者。茨城の生まれ。東大教授。耐震設計の実用化に貢献し、日本超高層建築時代を切り開いた。東京霞が関ビルディングなどを設計。昭和58年(1983)文化勲章受章。

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改訂新版 世界大百科事典 「武藤清」の意味・わかりやすい解説

武藤清 (むとうきよし)
生没年:1903-89(明治36-平成1)

建築構造学者。茨城県取手市に生まれる。1925年東京帝国大学建築学科卒業。35年同教授。関東大震災直後から構造物の振動解析の研究に着手し,33年世界的な耐震計算法である〈横力分布係数法〉を完成する。戦後コンピューターによるシミュレーション法を開発し,その成果は〈柔構造理論として日本に超高層建築が実現する契機となった。作品霞が関ビル(1968)など超高層建築が多数
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「武藤清」の意味・わかりやすい解説

武藤清
むとうきよし
(1903―1989)

建築構造学者。茨城県取手(とりで)生まれ。1925年(大正14)東京帝国大学建築学科卒業。27年(昭和2)同校助教授、35年教授。63年の退官後は鹿島(かじま)建設副社長に就任、また武藤構造力学研究所を開設した。耐震工学第一人者で、コンピュータによるシミュレーション法の開発を進め、柔構造理論を確立。日本最初の超高層ビル霞(かすみ)が関(せき)ビル(1968)の構造設計を担当。「耐震構造に関する研究」で64年学士院恩賜賞を受賞。83年文化勲章受章。

[天田起雄]

『武藤清著『耐震設計シリーズ1 耐震計算法』(1963・丸善)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「武藤清」の意味・わかりやすい解説

武藤清
むとうきよし

[生]1903.1.29. 茨城
[没]1989.3.12. 東京
建築構造学者。 1925年東京大学建築学科卒業。 35年同大学教授。一貫して耐震構造学を研究し,その実用化に貢献した。第2次世界大戦前は岳父佐野利器とともに剛構造を提唱したが,戦後,コンピュータの実用化とともに動的解析法による柔構造の理論を実用化した。 63年退官後は鹿島建設副社長に転じ,68年日本初の超高層ビル,霞が関ビル実現の原動力となった。 75年日本学士院会員。 83年文化勲章受章。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武藤清」の解説

武藤清 むとう-きよし

1903-1989 昭和時代の建築学者。
明治36年1月29日生まれ。昭和10年東京帝大教授,退官後は鹿島建設副社長。耐震構造学を専門とし,柔構造理論をうちたてて日本の超高層建築に道をひらいた。39年学士院恩賜賞,58年文化勲章。平成元年3月12日死去。86歳。茨城県出身。東京帝大卒。作品に霞が関ビル,世界貿易センタービル。

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