歴史小説(読み)れきししょうせつ

精選版 日本国語大辞典 「歴史小説」の意味・読み・例文・類語

れきし‐しょうせつ ‥セウセツ【歴史小説】

〘名〙 歴史上の事件・人物・風俗など、史実を素材として構成された小説。時代小説がロマンチックな筋の展開を主として通俗的興味に訴えるのに対して、史実に即した事件や人物の発展を通して歴史の本質を描写することをめざす。また、現代的主題を描くのに歴史的な素材を借りて構成した小説にもいう。歴史的小説。
※国民新聞‐明治三〇年(1897)一月三日「歴史小説としては、日々新聞に渋柿園の『伊達政宗』あり」

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デジタル大辞泉 「歴史小説」の意味・読み・例文・類語

れきし‐しょうせつ〔‐セウセツ〕【歴史小説】

歴史上の事件や人物を素材として構成された小説。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「歴史小説」の意味・わかりやすい解説

歴史小説
れきししょうせつ

歴史小説とは、「歴史」と「小説」との複合概念である。できごと(事件)は一回性・非反復性をもちながら連続している。歴史学ではその事件や記録の断片を通して、関連性や必然性、運動体としての原則・法則といった普遍的な歴史の本質をとらえつつ、過去の世界を再構築する。文学では歴史の本質の把握にあたって、歴史学と同様の史料操作をしつつも、想像力を駆使し、事件や人物を過去のあったであろう事象(世界)や時代のなかに構成する。これが歴史小説である。また今日では、現代的主題を過去の時間や歴史的素材の衣装をまとって表現したテーマ小説まで含めてよんでいる。

[山崎一穎]

歴史小説の性格

E・ゴンクールは、「歴史とは過去にあった小説であり、小説とは、ありえたかも知れぬ歴史である」(日記)といい、ルカーチは『歴史文学論』のなかで、「歴史的大事件の再述ではなく、これらの諸事件に参加した人々の姿の芸術的手段による再興で」あり、「現在の前史としての過去の復活である」と規定している。

 わが国において歴史小説の基本的性格づけをしたのは、坪内逍遙(しょうよう)をもって嚆矢(こうし)とする。逍遙は『小説神髄』(1885~86)の「時代小説の脚色」において、歴史小説の目的は「正史の欠漏」と「風俗史の欠漏」を補綴(ほてい)することであると述べ、「年代の齟齬(そご)」「事実の錯誤」「風俗の謬写(びゅうしゃ)」はあってはならないと主張する。さらに、「歴史小説に就いて」(1895)で、時代の雰囲気や人物の性格を明確にすることであるといい、衣装(コスチューム)として歴史を利用した小説を「抒情(じょじょう)的歴史小説」と呼称し、歴史と無関係であると主張する。

 これに対して、逍遙と「歴史劇・歴史画論争」を展開する高山樗牛(ちょぎゅう)は、逍遙説は「歴史を主として芸術を客とする説」で、あまりに歴史解釈が窮屈であると反論する。逍遙の客観本位に対して、樗牛の主観本位は、史的実証性と芸術的創造性をめぐる歴史小説の本質論として、森鴎外(おうがい)の『歴史其儘(そのまま)と歴史離れ』(1915)という歴史小説の方法の先蹤(せんしょう)となっている。

[山崎一穎]

外国

歴史小説は19世紀に成立した文学形式で、イギリスの小説家W・スコットが祖といわれる。スコットの『アイバンホー』(1819)、『ケニルワースの城』(1821)、デュマ(父)の『モンテ・クリスト伯』(1844~45)などは、歴史を舞台にしながらも、史実無視によるロマンである。次の段階に進むと、哲学的談理による歴史の再現を目ざしたリットンの『リエンジ』(1835)、サッカレーの『バージニアンズ』(1857~59)、フロベールの『サランボー』(1862)がある。さらに、歴史を再現しながら、人間とその運命をダイナミックに叙述した歴史小説には、L・トルストイの『戦争と平和』(1863~69)、シェンキェビッチの『クオ・バディス』(1896)、A・K・トルストイの『白銀公爵』(1863)、A・N・トルストイの『ピョートル一世』(1929~44)、ショーロホフの『静かなドン』(1928~40)、トロワイヤの『この世の続く限り』(1947~50)がある。

[山崎一穎]

日本

わが国の歴史小説は、明治新文学の一ジャンルであり、矢野龍渓(りゅうけい)『斉武名士経国美談』(1883~84)、藤田鳴鶴(めいかく)『済民偉業録』(1887)にその胚種(はいしゅ)をみる。歴史小説は明治20年代の民友社の史論や伝記文学の刊行と軌を一に発展する。山田美妙(びみょう)、矢崎嵯峨(さが)の屋、幸田露伴、宮崎三昧(さんまい)、村井弦斎(げんさい)、渡辺霞亭(かてい)、村上浪六(なみろく)らが筆をとったが、それらは概して主情的・外的な歴史ロマンであった。「外的、ロマンチック、客観的」(柳田泉(いずみ))歴史小説の大成者は塚原渋柿園(じゅうしえん)である。『山崎合戦』(1894)、『由井正雪』(1897~98)、『侠足袋(きゃんたび)』(1902)、『淀殿(よどどの)』(1905~06)、明治期最大の収穫である『天草一揆』(1906)が代表作である。さらに、美妙の『二郎経高(つねたか)』(1908)、『平重衡(しげひら)』(1910)、小杉天外(てんがい)の『伊豆の頼朝(よりとも)』(1912)、大倉桃郎(とうろう)の『江戸城』(1911~12)、『萬石(まんごく)浪人』(1914)など評価できる作である。しかし、これらの作は内面描写、史実の解釈に踏み込みかけているが、歴史叙述(史料)への接近の仕方、歴史意識の点で、大正期の鴎外の諸作をまたねばならない。

 大正期の歴史小説は、鴎外と芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)に代表される。鴎外は史実を重んじ、その史実に潜む歴史の必然性を分析し、過去を客観的に再現する「歴史其儘(そのまま)」とよばれる方法で『興津弥五右衛門(おきつやごうえもん)の遺書』(1912)、『阿部一族』(1913)、『護持院原(ごじいんがはら)の敵討(かたきうち)』(1913)を発表。やがて、史実の束縛から自由でありたいと『山椒大夫(さんしょうだゆう)』(1915)、『高瀬舟』(1916)、『寒山拾得(かんざんじっとく)』(1916)等の「歴史離れ」の諸作を発表。この二系列のみごとな融合が、儒学共同体の倫理のなかで「修養」に支えられた「型」を体現した近世考証学者の伝記『渋江抽斎(ちゅうさい)』(1916)である。龍之介は鴎外の「歴史離れ」を徹底させ、舞台と素材を過去に借り、現代的主題を付与するという方法で『尾形了斎(おがたりょうさい)覚え書』『忠義』『古千屋(こちや)』(いずれも1917)を発表。菊池寛も『忠直卿(ただなおきょう)行状記』(1918)を発表。いずれも主観の投影の濃厚な観念的歴史小説であり、ついに鴎外を超ええていない。

 昭和期に入って、鴎外の『渋江抽斎』と拮抗(きっこう)する作として、島崎藤村の『夜明け前』(1929~35)、本庄陸男(ほんじょうむつお)の『石狩川』(1938~39)、江馬修(えまなかし)の『山の民』(1938~40)、安岡章太郎の『流離譚(りゅうりたん)』(1976~81)をあげる。いずれも維新の激動期の「ファミリー・ヒストリー」である。時代の波に翻弄(ほんろう)される人間の運命がみごとに浮き彫りにされ、同時に維新の本質を鋭くついている。第二次世界大戦後は、田宮虎彦(とらひこ)の『霧の中』(1947)、『落城』(1949)、中山義秀(ぎしゅう)『咲庵(しょうあん)』(1963~64)、井上靖(やすし)『天平(てんぴょう)の甍(いらか)』(1957)、大仏(おさらぎ)次郎『パリ燃ゆ』(1961~63)、臼井吉見(うすいよしみ)『安曇野(あずみの)』(1964~74)、司馬遼太郎(しばりょうたろう)『胡蝶(こちょう)の夢』(1976~79)、大岡昇平『堺港攘夷(さかいこうじょうい)始末』(1984~89)など注目すべき作が生まれている。

[山崎一穎]

『ゲオルグ・ルカーチ著、山村房次訳『歴史文学論』(1938・三笠書房)』『ピーター・ゲイ著、鈴木利章訳『歴史の文体』(1977・ミネルヴァ書房)』『柳田泉著「歴史小説研究」(『続随筆明治文学』所収・1938・春秋社)』『岩上順一著『歴史文学論』(1942・中央公論社)』『桑原武夫著『歴史と文学』(1951・新潮社)』『榊山潤・尾崎秀樹編『歴史文学への招待』(1961・南北社)』『尾崎秀樹著『歴史文学論』(1976・筑摩書房)』『植村清二著『歴史と文芸の間』(1977・中央公論社)』『菊地昌典著『歴史と文学』(1979・筑摩書房)』『尾崎秀樹・菊地昌典編『歴史文学読本』(1980・平凡社)』『津上忠著『歴史小説と歴史劇』(1982・新日本出版社)』『三瓶達司著『明治歴史小説論叢』(1987・新典社)』『田宮虎彦著『歴史小説について』(『鷺』所収・1953・和光社)』『司馬遼太郎著『歴史と小説』(1969・河出書房新社)』『井上靖著『歴史小説の周囲』(1973・講談社)』『大岡昇平著『歴史小説の問題』(1974・文芸春秋)』

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改訂新版 世界大百科事典 「歴史小説」の意味・わかりやすい解説

歴史小説 (れきししょうせつ)

歴史小説という言葉はあまりにも日常頻繁に用いられ,かつ使用する人によってかなり自由に,ときには安易に用いられることが多いので,抽象的定義を与えることはかえって困難である。したがって,ここではこの語が表す明白な特徴をいくつかあげることによって,定義に代える。ほぼ2世代,すなわち40年ないし60年以上の過去を舞台とした小説で,現実の事件や人物(とくに公の世界に関連した)を紹介,登場させているものを,歴史小説と呼ぶことができよう。

 だから,もし小説だけに限らずに,枠を詩にまで広げるならば,ホメロスがトロイア戦争に取材して書いた二大叙事詩《イーリアス》と《オデュッセイア》は,最も初期の歴史文学の例と称してよい。ここで問題になるのは,想像力の産物であるはずの文学と,厳密に事実だけによるべき歴史とが,はたして両立しうるかどうか,ということであるが,歴史文学はあくまで〈文学〉の一ジャンルなのであって,〈歴史〉の一分野ではないのであるから,芸術上の真実を満足させるためならば,歴史的事実を変形させたり,創作したりすることも許されてしかるべきである。

 ヨーロッパ文学において真の意味での小説が確立されたのは18世紀であるから,歴史小説もまたその時代に生まれたとみることができる。とくに,この世紀半ばからイギリスで大流行をみた,いわゆる〈ゴシック・ロマンス〉のかなり多くのものは,前述した歴史小説の特徴を,完全にとはいわぬまでも,かなりの程度までそなえている。しかし,ここでは作者の想像力の働きがあまりにも自由すぎて,歴史的事実が影のうすいものとされているので,アン・ラドクリフ夫人の《ガストン・ド・ブロンドビル》(出版は作者死後の1826年だが,執筆は1802年ころ)を例外として,歴史小説とは呼びにくい。

 ゴシック・ロマンスからそのロマンス的要素を受け継いだスコットランドの文豪W.スコットこそ,量質ともに真の意味での歴史小説の大成者といえよう。彼の作品は大別してスコットランドの歴史によるもの(《ウェーバリー》(1814),《ミドロージアンの心臓》(1818)など,数は最も多い),イングランドの歴史によるもの(《アイバンホー》(1820),《ケニルワース城》(1821)など),およびフランスの歴史によるもの(《クウェンティン・ダーワド》(1823)など,数は少ない)となるが,イギリス文学史上に多くの追随者を生んだのみならず,ヨーロッパ大陸の多くの文豪に強い影響を与え,数々の歴史小説の傑作を生み出させることとなった。たとえばバルザックの初期の作品,とくに《ふくろう党》,メリメの《シャルル9世年代記》(ともに1829)などのほかに,ポーランドのシェンキエビチ,ロシアのプーシキンなどの作品もあげねばならない。また歴史の歯車を動かす民衆のエネルギーを小説の中で描いたスコットは,民族の叙事詩を散文で示した国民文学作家と呼んでよかろうが,この点トルストイの《戦争と平和》にはっきりした影響を与えているといえよう。

 19世紀のドイツにおいても,たとえばH.vonクライストの《ミヒャエル・コールハース》(1810)など,注目すべき歴史小説が発表された。アメリカは〈歴史のない新しい国〉と呼ばれることが多いが,おそらくそのためであろうか,今日では建国の時代,西部開拓時代を扱ったアメリカ国民文学を求める声が高い。文明に汚されない自然児ナティ・バンポーを主人公とし,独立戦争前後の時代を舞台とするJ.F.クーパーの一連の小説(《レザーストッキング物語》)は,スコットの小説を新大陸に移植して成功した歴史小説とみなしてもよい。アフリカ,アジア,南アメリカでも,それぞれの民族のルーツを確認する国民的歴史小説の傑作が生み出されている。

 このように重要な文学ジャンルでありながら,歴史小説論として注目すべきものは意外なほど少ない。その中で忘れることのできないものは,ハンガリーの文芸批評家ルカーチの《歴史小説論》(1937)である。彼の基本的立場はマルクス主義に基づく社会主義リアリズムであるために,その政治的姿勢を批判する意見は出ているものの,彼の歴史小説に対する洞察は高く評価されている。

 日本においてはヨーロッパより早くから優れた歴史小説が書かれており,数多くの戦記物語は,歴史小説として読むことができる。とくに《平家物語》《太平記》などは,著者独自の歴史観さえその中ににじみ出させていて興味深いものがある。

 明治以後の作家の中で特記すべきものは,後期の森鷗外で,《興津弥五右衛門の遺書》(1912)以後,《阿部一族》(1913),《大塩平八郎》(1914)など,この時期に優れた歴史小説を多く書いている。その中で最も有名な作品の一つ《山椒大夫(さんしようだゆう)》を発表した1915年に,彼は《歴史其儘(そのまま)と歴史離れ》という文章を書いているが,彼の歴史小説方法論として重要な文献である。

 それ以後,たとえば中里介山の《大菩薩峠(だいぼさつとうげ)》(1934完結)や大仏(おさらぎ)次郎の《鞍馬天狗》シリーズのような,いわば日本におけるスコット風の国民文学の出現とか,第2次世界大戦後における井上靖の多くの歴史小説,とくにその一つである《蒼(あお)き狼》をめぐって著者と大岡昇平との間になされた歴史小説論争など,さまざまな興味ある問題がある。

 どこの国でも,いわゆる〈古きよき時代〉を郷愁的に懐かしむ小説は多く,またその中のかなりの作品が,ときに映画やテレビドラマなど他のメディアを通じて,大きな人気を呼ぶことがある。しかし,真の意味での歴史小説とは,著者の明確な歴史観があってはじめて生まれるものであり,歴史観とは著者が己の生きる時代に対して確固たる〈現代感覚〉をもってこそ,はじめて身につけることができるものである。
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歴史小説
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