民族解放戦争(読み)みんぞくかいほうせんそう

改訂新版 世界大百科事典 「民族解放戦争」の意味・わかりやすい解説

民族解放戦争 (みんぞくかいほうせんそう)

植民地従属国被圧迫民族が,宗主国支配干渉を排除して民族の独立を獲得するためになされる戦争。古くローマ帝国からスペイン人の新大陸征服にいたるまで,異民族の支配に対してこれとたたかう国家や種族部族の戦争は世界史において枚挙にいとまがない。しかし近代における民族解放戦争は,欧米の対外膨張が植民地支配を伴い,植民地でもある程度の近代的商品生産関係に基づくブルジョア支配階級が成熟し,外国による支配・搾取をみずからの発展にとっての桎梏(しつこく)と感じるようになってからのことである。このような意味での民族解放戦争の嚆矢(こうし)は19世紀前半,フランス革命やナポレオン戦争の影響を受けたラテン・アメリカでのボリーバル,サン・マルティンらクレオール(現地生れのスペイン人)層の独立運動である。ラテン・アメリカの多くの地域は19世紀を通じて独立したが,それはクレオール支配階級の独裁体制を固める結果を生んだ。

 第2次世界大戦契機として,1945-55年の10年間にアジアで南アジア諸国,インドシナ諸国の独立が相次いだ。インドでは国民会議派,ムスリム同盟の指導の下に非暴力民族抵抗運動がつづけられてきたが,インドネシア,インドシナでは宗主国オランダ,フランスに対する戦争が起こり,その後独立の獲得にいたった。この時期に民族解放運動が強まった理由の一つは,第2次大戦で宗主国の支配が動揺したこと,他は大戦により宗主国の工業製品提供が困難になり,植民地での工業化が進むのに伴って,行政官吏,労働組合など中産階層が増大し,独立運動の指導者層を生み出したことである。1955年にはインドネシアのバンドンで,新興独立国の呼びかけにより最初のアジア・アフリカ会議が開かれた。この後,アジアの独立運動はまず北アフリカ,次いでブラック・アフリカに波及した。北アフリカではアルジェリア民族解放戦線FLN)の率いる独立戦争が7年半にわたった熾烈(しれつ)な戦いと100万人の死者犠牲を経て,62年にフランスからの独立をもたらした(アルジェリア戦争)。これら民族解放戦争が,宗主国の植民地維持を著しくコスト高なものとし,また宗主国の時代認識を変えさせて,アジア,アフリカ,ラテン・アメリカ,カリブ海,太平洋のほとんどの植民地・従属国の独立を導いたことは否定できない。ただし,この民族独立の波が主として中産階層・ブルジョアジーの指導下に行われたため,独立後,かつてのクレオールと同様,一部特権階層の支配を生み出すことになった。キューバで1956-59年に起こったカストロらのゲリラ戦争,63-66年にコンゴで〈第二の独立〉を旗印に推進されたルムンバ派の武装闘争,79年ニカラグアでソモサ大統領を追放したサンディニスタの蜂起などはいずれも,民族解放戦争が独立をもたらした後に生じた,〈民衆解放〉をめざす社会革命の動きである。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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