水分神社(読み)みくまりじんじゃ

精選版 日本国語大辞典 「水分神社」の意味・読み・例文・類語

みくまり‐じんじゃ【水分神社】

〘名〙 旱天に雨を祈る農耕の神をまつった神社奈良県大阪府などにある。「みくまり」を「みこもり(御子守)」と解し、子どもを守り育てる霊力を持つ神として俗信された。

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日本歴史地名大系 「水分神社」の解説

水分神社
みくまりじんじや

[現在地名]大宇陀町大字平尾

宇陀うだ川東岸の丘陵西麓、小字みやたに鎮座祭神天照あまてらす大神伊弉冊いざなみ尊・天水分あめのみくまり神・国水分くにのみくまり神・品陀別ほんだわけ命。旧村社。弘化二年(一八四五)の御田植本には三社大明神とある。口碑に文武天皇二年(六九八)上芳野かみほうの(現奈良県菟田野町)の水分神社を勧請したと伝える。永禄三年(一五六〇)書写の玉岡水分縁起(大和志料)には「於神戸阿紀神社之郷、所以勧請水分明神於平尾村、且為玉岡之社領」とみえ、また当社を玉岡たまおか(現菟田野町古市場)の社の末社としたとある。

水分神社
すいぶんじんじや

[現在地名]大淀町大字増口小字椿井森

旧伊勢南街道の真上丘陵上に鎮座。祭神は天照あまてらす大神・月読つきよみ命・蛭子えびす神・須佐男すさのお命。旧村社。もと摩志まし郷の産土神で、のち中増なかましが分離し、延宝八年(一六八〇)九月の洪水で崩れた上市古市場かみいちふるいちば(中州、現奈良県吉野町)の水分社を貞享年間(一六八四―八八)尾仁おに山のどうヶ峰に移し、その後ここに合祀したとある。本殿は素木の神明造・檜皮葺

水分神社
みくまりじんじや

[現在地名]上北山村大字小橡字小玉置

小橡ことち集落の北、小橡川の曲流地に鎮座。祭神天之水分あめのみくまり神・国之水分くにのみくまり神。旧村社。草創は不詳であるが、延宝検地帳(滝川寺蔵)に「七反弐畝歩五拾四間、四拾間、水分大明神宮地境内社有之」とあり、長禄(一四五七―六〇)以前の創建と伝える。祭日は四月一三日と一一月二三日で、当日に「ウルシネ」と称する粳米糯米を混じたものを各戸二合ずつ出し合って神供と餅まきをする風習がある。

水分神社
みくまりじんじや

[現在地名]府中町みくまり三丁目

「芸藩通志」が「此社、深山の内にあり、恠石冽泉ありて幽閑の地なり」と記すように、御衣尾みそお(榎木川)呉娑々宇ごさそう山の南西側に形成する小渓谷の入口に鎮座。祭神は天水分神・国水分神など七柱。「三代実録」貞観元年(八五九)三月二六日条に、従五位下を授けられたとある安芸国の「水分天神」に比定される。「安芸国神名帳」にも「国府正二位五前」の一つに「水別明神」をあげている。

水分も水別も水配りの意であり、分水地点に水分神社が鎮座する例は多い。

水分神社
みくまりじんじや

[現在地名]七ヶ宿町 関

白石しろいし川左岸、集落せきの北神林かんばやしにあり、祭神は天之水分神・国之水分神。旧村社。古くは御嶽蔵王みたけざおう権現社といったが、明治三年(一八七〇)改称。近くに別当であった真言宗円蔵えんぞう寺の跡が残る。「関村安永風土記」によれば、大和国吉野山蔵王権現を勧請したと伝え、天文二四年(一五五五)の伊達家宿老中野常陸介の棟札が残り、早瀬はやせ関と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の水分神社の言及

【水分神】より

…《古事記》には〈天之水分神〉〈国之水分神〉として見えている。《延喜式》神名帳には,大和国(奈良県)に葛木(かつらぎ)水分神社,吉野水分神社,宇太(うだ)水分神社,都祁(つげ)水分神社が,河内国(大阪府)に建(たけ)水分神社,摂津国住吉郡(大阪府)に天水分豊浦命神社が記載されている。《延喜式》によると神祇官が執行する四時祭の祈年(としごい)祭と月次(つきなみ)祭や臨時祭の祈雨神祭(きうしんさい)には,大和国の葛木,吉野,宇太,都祁の四つの水分神社に奉幣や馬の奉納があった。…

※「水分神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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